最近、ここに来て感じる違和感の正体に何となく思い当たることがあった 単純に言ってしまえば「違い」ということなんだけれど 自分がやりたい大事なことと 誰かがやりたい大事なこと その相違から来ている その相違に対する「私のスタンス」に対して、私は違和感を発動していた それは、自分より相手を慮ってしまうことに、由来しているような気がする なぜか自分の都合より相手の都合を優先しなくてはならないかのような思い 気が乗らない誘いは、誘いがあった時にも断る時にも、苦い気持ちを
ちゃんと好きと思えるものを買おう。
自分を否定しないことと、向上するための努力を放棄することは別、そのさじ加減の難しさよ。「ありのままでいい」イコール「何もしなくていい」ではない、というね。
友人が教えてくれた新しいカフェに友人と 店に一歩入った途端もうふわっと気持ちいい 大きなガラス面からの日差しでどこも明るい店内 席に着いて古民家を改造した高い天井見上げたら 視界いっぱい何とも言えない心地のよさに包まれる 「…気持ちいい」 すっぽりとやわらかいものに包まれたような その空間ではネガティブな気持ちを持つのもむずかしい そんな心地よさ こんな風にたやすく単純に、気持ちよく過ごせるところがあるのに 単純に「いい」と思えないところに身を置きにいくのは やっ
自分も相手も悪くない、ただお互い「違う」だけ。
なぜか私は格闘家の女の子たち(3人組)と親しくしていてスタッフとまではいかないものの関係者的に同行している でその3人が私服でいて「私服可愛いな」なんて考えているんだけど、他にも女の子何人かと東京のどこか、デパートのようなところにいる その後、解散する際に他の2人の女の子が電車に入って座ったので何となくつられて私も腰掛けたら、すぐ電車が発車してしまう「私乗るつもりじゃなかったのに」 私の左側にもう1人乗ってきた子がいて、さっきデパートでアナスイで全身コーデしてた子だった
「本当は教えたくない〇〇」ってコピー「それだけすごいんだよ!!」って言いたいのわかるけど普通に「じゃ教えなければいいのでは」って思うよね。
フォローしてると何でも情報入ってくるけどフォローやめたら何やってるか全然わからないってある意味すごい
いろいろゆがんでいるけれど、でも逆に、ゆがんでないものなんてこの世にあるのかな
自分ができることはすごいと思わないけど、自分ができないことできる人はすごいって思うよね。
おはようございます。三連休初日の朝、快晴。さて今日はどんな1日になるだろう。
今回髪切って思ったというか確信した、髪って切る人によって髪質まで変わるよね、テクニック的なことでなくエネルギー的な話です
ふと子供の頃、我が家で焼りんごが流行って一時よく食べてたこと思い出した。丸ごとのりんごの芯をくり抜いてバターと砂糖を詰めてチンして。甘くてあったかくて柔らかくて、どこか洋風で美味しかった。チンだから焼じゃないよな、でも検索したらこの作り方けっこう出てくる。懐かしくて泣きたくなる。
先日、ある場所に行って来た感想〜大勢の人のごちゃごちゃした気に疲れた、的な話だったと思う〜を妹に話したら 「あんたってさ、そういうのすごい感じるっていうか、気にする質だよね」 的なことを言われ、ちょっと心を引っ込めそうになった おそらく私はその話をしたら「それは大変だったね」的反応が来るだろうと、無意識に想像していたのだと思う でもその矛先が「あんたってそうだよね」と、私に向いたことで 「え?私のせいなの?」という気持ちになりかけてしまった でも今、ハッキリ言う
少しだけ通ったことのあるヨガスタジオ閉店。ヨガのスタイルが体質に合わず早々に退会してしまったもののなんかさみしい。でも終わりあればはじまりもあり、あの場所次は何になるんだろう。新しい流れに期待しよう。
「簡単ケーキ」と銘打ってるレシピでアーモンドプードルだのラム酒だの使われてると遠い目になる