ヨーロッパを離れる前に思うこと。
さて、今日は「焦燥感に駆られている人のリアルな日記」ということで、僕の(ガッツリ!)個人的な話を少しさせていただこうかなと思います。ここ2日忙しくて見事に麻痺しておりましたが、なんとか立て直し...。(涙)
日記は一昨日書いたものが骨子となっているので少々時間軸ずれてますがご容赦!(笑)
では、今日もよろしくお願いします。
就寝前のお供にどうぞ。
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ミラノを去って
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さて、ミラノ旅行が無事に終わりました。
今はミラノ→ブダペスト移動中の飛行機の中からこの記事を書いています。なので、実質まだ「無事」とは言えないのですが、そこはパイロットさんを信じて先走っておきます。(笑)
#生きて帰りたい
(追記)生きてました^^
まぁ、冗談もそこそこに、無事にイタリア・ミラノ旅行の5日間が終了しまして。ここ数日のサロン記事はおそらく結構現場のリアル感があって、色々と楽しんでいただけたんじゃないかなと思います。
さて、(記事を書いている時はまだ5日目なので)今日が最終日だった訳ですが、どこか「心ここに在らず」というかボーッとしてる時間が凄く多かったんです。よくよく心に耳を傾けてみると「寂しい」だったり「もう終わりかぁ…」だったり、単に旅行の終了というよりはヨーロッパで暮らすことそのものが終わりのような感覚になっていました。
思い返せば昨年の8月末。
サロンとともに大阪を旅立ち、気付けばブダペストに。
途中で経由した中国の空港で雑な対応をされたり、ブダペストに着いたら早々、訳のわからないハンガリー語をたくさん聞いて早くもホームシックになったり。
あの日何をしていたかというのを(別に日記は書いてませんが)克明に思い出すことができます。そして、どの日も私にとって濃く楽しかった。
そんな留学もあと2ヶ月で終了です。
ヨーロッパともサヨナラしないと行けません。
ウクライナで戦争が始まりロシア上空を通過できないが故にフライト時間が3〜4時間伸び、加速する円安を横目にヨーロッパでは今日も「高いなぁ…」という寂しいお財布事情が後を絶ちません。もちろん、日本も中々ヤバいことを噂で定期的に聞いていますので世界全体の問題なのですが、特にヨーロッパやアメリカは決して日本人にとって良い状況じゃありませんね…。
そんなことを思っていると「次にヨーロッパの地を踏む日は来るのだろうか?」という、何とも悲しげな悩みが日に日に増してきています。コレを書いている今もそうです。
LCCの飛行機の中は狭いしうるさいけど、コレに乗れる機会もあと何回かな〜と考え出すともうほとんどありません。日本に帰ると良いことはいっぱいありますが、ヨーロッパの暮らしにはなりません。
インフラや医療、教育や読書、そしてご飯は絶対に日本がいいです。ココは8ヶ月間変わったことはないです。今日もイタリアで出てくる乗客を待たずに乗りまくる満員電車に揺られながらココまで来ましたから…。(笑)
日本に帰ったら「海外は良いよなぁ…」と言ってくる人が少なからず居そうなので、その人たちには真正面から「そんな訳ねーだろー!!!」と愛あるムチ(往復ビンタ!)で対抗するつもりですが、それくらい日本は素敵な国です。もし、日本ってオワコンだよねって思ってる人がいたら諦めないでください。海外からの評価は想像以上に高いものですよ。
ただ一方で、ヨーロッパで浴びた2000年越えの文化を恋しくなる日はいずれ来るでしょうね。今回のミラノ旅行で3日間で教会やら美術館をムチャクチャはしごした訳ですが、やっぱりそういった時間は日本のもので代替できません。
神社仏閣とはまた違った良さがあり、
日本画とは違う不思議な【世界観】があります。
日本に帰ると間違いなく西洋絵画と本場オーケストラの音楽を味わいたくなるでしょう。後悔のないように、行きたい芸術は帰国までに全て行こうと計画を日々練ってますが、体力的にも金銭的にも、そこまで簡単に出来るものじゃないので難しいところ。
同じ寮で過ごした日本人も早い人だと3週間後に帰国します。いよいよコレまで1年間一緒だった仲間もチラホラ帰っていくのです。そういった話を聞くと余計に独特の「焦り」が高まってきます。
「絵画なんて画像でいいじゃん!」と言われたら、真っ向から「それは違う」と今の僕なら言えます。昔の僕なら言えませんでした。だって、絵なんてまともに鑑賞してきたことなかったんですから。
ちょっと脇道に逸れますが、
少しだけ僕とアートとの話をしましょう。
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フェルメールの記憶を横目に
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僕が記憶している限り、西洋絵画に触れた機会は大学まで1度しかありません。それが「フェルメール展」というもので、世界で35点ほどしかない中の幾つかが来日した時の特別展です。ココで『真珠の耳飾りの少女』や『牛乳を注ぐ女』を見ました。その記憶だけはなぜかハッキリあります。
けど、その時の感情は特に覚えてません。
「本物だなぁ〜…」くらいかな?(笑)
今ならもっと良い食い付きっぷりなんでしょうけど、当時はまだ10歳とかでしたからね。展覧会に行って感性を磨ける年齢でもない。
大学に入ってアートの世界の人とも付き合うようになり「見るとは何か」を少しは考えた。あくまで少しは。同じものをじっくり見つめるっていうのは何となく分かるけど、あくまで「何となく」みたいな。
けど、ヨーロッパに来てからそれは少し変わりましたね。小林秀雄や夏目漱石を読んでいたら「見るとは何か」に関しての解像度が少しばかり高くなって、絵を見てみたいと自発的に思うようになった。そんな経験はあくまでヨーロッパに来てからが初めてでしょう。
ロンドンのナショナルギャラリーに行き、浴びるように色んな絵を見て、「なんか良さそうだけど眠たいなぁ、わっかんねぇなぁ〜」って感じだった。けど、どこか今までと違う感覚はあって、初めて【見る】ことが楽しかったのは覚えてます。別に絵画の見方は何も知らないけど、名前は聞いたことあるような名作が次々と出てくるのは壮観でしたよ。その時の高鳴りは以前サロンでも触れたので、気になる人は検索タブで「ナショナルギャラリー」って打つとすぐ出てくると思います。
話のまとまりが皆無で申し訳ないんですが、ヨーロッパは私に芸術の面白さを少しばかり教えてくれました。それは絵画が、というより「ヨーロッパという【場所】そのもの」です。
風土、雰囲気、街の人々。
それが昔の僕をコロッと変えてくれたんです。
ヨーロッパの美術館は平日に行くと必ずどこか近くの学校が鑑賞しに団体で訪れています。今日も昨日もそれぞれ別の学校がいました。しかも、年齢が小学生とか。まだ、感性も定まってない時です。
そんな様子を間近で見ていて「そりゃ小さい頃からコレが当たり前だと違うよなぁ…」と思ったり。
ヨーロッパが持つ風土は体に吸い込もうとすると、頭がクラクラして酸欠を起こします。酸欠してないなら多分それはヨーロッパを吸うんじゃなくて壁を作ってる。決してそのまま取り込もうとしてない。
昨日も今日も1、2時間街に繰り出せば頭がボーッとしてました。心ここに在らずの原因はコレもありますね、おそらく。
遠藤周作の『留学』に、フランスに2年間の留学の末に病気になって帰国を余儀なくされた日本人が出てきます。その人は同じくフランスに住む主人公に向かって「フランスをそのまま吸い込んだら体がボロボロになる。ココで元気なやつはあくまで自分の解釈に留まってる」と。
続けてその人は「2000年の歴史をたった2〜3年で理解しようとする方が間違ってる。そんなことを出来るはずがないし、しようと思っても私のように病気になる」と、主人公に警告する訳です。
このセリフを読んだ時に私もなんとなくスカーっとしまして。というのも、今まで何となく「建物かっこいいな!」とか「この絵綺麗だな〜!」とか、まぁミーハーな感じでしたから、8ヶ月経ってようやく【文化との向き合い方】というか距離感をふと縮められるようになった気がしています。
焦燥感は締切ですから、
締切があるとクリエイティブになるのも無理はない。
それは現代の漫画家とフィレンツェの画家たちが証明してくれていることでしょう。(最近はほぼですが!)毎日サロンやらnoteやらの締切を背負って生きている私も少しはその気持ちがわかります。
まぁ、締切があった方が人間動くって言いますけどありすぎる締切もちょっと嫌な気さえしますが...(笑)
ただ、書くことと話すことは好きなのでまだ続けますよ。友人に結構真剣にYouTubeを勧められたので近いうちに何かの解説動画(単なるおしゃべり)をアップするかもしれません。色々試してみます^^
そんなわけで、今日も色々焦りつつ生きてますが、とにかく1日を大切に。あと2ヶ月、元気に頑張ります。
では、また明日
長濱(2024.5.4)
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