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大学生よ、キャンパスの外に出よう

自分自身、一端の大学生だけど周囲に大人が多い人少ない人を見かける。しかも、周りにいる人はたくさんの大人と関わり、居ない人は1人も居ないといった極端な【格差】を感じるのだ。

もちろん、その多さに善し悪しはないけれど、やはり人生の選択肢や世界の広さを教えてくれる人は総じて社会に出ている大人の方々だ。



一人っ子として育った僕は周りに両親という大人ばかりと関わっていたから、ある意味で社会人の方々には(話すことなどで)慣れていた。大人の話し方と学生の話し方は一切違って、それはまるで流派や決まった固有の型のようである。なので、大人とコミュニケーションを取るためにはその型の感覚が必要になるのだ。


学校は本当の社会じゃない


さて、前段で話したように、大学に入るとたくさんの大人が目を掛けてくれる学生とそうでない学生を見かける。そして、大抵の場合「自分は何をすれば良いか」とか「日々悩みが尽きなくて…」という人は【学校の中】ばかりで生活している。

外に出ている人は「最近はこんな人と会って〜…」と何故か前向きなのである。社会のリアルな声を聞くと嫌にもなりそうな気がするが、何故か明るいのである。むしろ、学生ばかりと生活している人の方がネガティブな気質を持っているように(少なくとも私は)感じる。



学校というのを社会と呼ぶのは、僕はあまり好きじゃない。それは大学のような場所自体の否定じゃなくて、あれは社会とは少し違う、という意味である。

学校は手取り足取り教えてくれるけど、社会は僕のように新参者でも「できるでしょ?」という基準で話が進むし、何か成果を出せなければ(もちろん若いという理由で許してもらえることも多いが)お金で損をすることもある。

(お金が主眼になる)資本主義の潮流に乗りすぎるのも人として廃れそうだが、よくいる大学生のアイデアは「そんなもの採算合わないに決まってるじゃないか!」と僕にもすぐ分かるようなチープなモノだったりする。



自分で目の前にある予算(お金や人)がどれくらいの規模かという感覚は「自分で使ってみる or 大人の実際の現場を見る」くらいしか方法がない。だから、学校の中だけで社会を学べているなんて、少なくとも自分の周囲には思ってほしくない次第である。なぜなら、そもそも競っているルールも基準も、使っているモノサシだって違うからである。



幸いにも、大人の人たちは若い人のリアルな意見や人生観について興味がある場合が多い。また、話し相手として何でも面白がれる年齢の人は素敵なモノだ。「どうやって大人の人に会うの?」と聞かれるけど、機会なんてたくさん転がってるじゃないか、と僕は正直思っている。


大人の人に会いたければ外に出れば良い。大人ばかりが居そうな場所に行けば良い。そこはあなたの嗅覚の問題である。少なくとも一言あるとすれば、学校には居ない。ただ、それは確実な事である。



さて、少々偉そうになっていることをどうか許して頂きたいが、ココで書いていることは決して冗談でも嘘でも、はたまた話を盛っている訳でもないのだ。「大人とばかり関われ、学生なんてクソだ」と言ってるんじゃ決してない。社会の匂いを嗅ぎ取るためには社会に居る人、もしくは自分が社会に出ないとムリだと言っているのだ。


再三になるが、大学は学問をする場であって社会経験なんて出来やしない。学内で完結するプロジェクトじゃなくて、キチンと大人の人とやり取りする場に行くべきだ。大学が見せてくれる社会は社会なようで社会じゃない。だって、自分たちでお金という命のように重い責任を背負うこともなければ、成果が出なくても落ち込まずに済むからである。そして、クビもないし次回を気にする必要もない。

▼実際に予算作りに苦しんだ話↓↓


少なくとも僕が色んな人から教えてもらった社会の中にそんな「ぬるま湯」は、まぁ無い。もう一度言うが、大学が悪いという訳じゃない。扱っているルールが違うと言っているのだ。



チャンスを掴む嗅覚も才能のうち


ちなみに、動けばチャンスはキチンとあるし、自分の嗅覚でそれを感じ取れないなら素直に「嗅覚のある人」を見つけて「連れて行ってくれ!」とお願いすれば良いのだ。そこで相手が首を縦に振らないなら、それはあなたに問題があるだろう。


人柄なのかコミュ力なのか知識なのか。

付いていくのが許されるのも才能。少なくとも僕は今まで多くの人生の先輩にアレやコレやと教えてもらったけど、最低限の礼儀やマナー、気遣いや若者らしい意見については常に出せるように日々頑張ってるつもりだ。その努力の先に社会が(ほんの僅かでも)見えてくる。


社会の匂いを嗅いだ経験がある人とない人では、
天と地の差があるだろう。


そして最も悲劇なのは、コレを言えば非難されることを恐れて、もう誰もあなたの周りで「大人に会え!」なんて言ってくれる先生も友達もいない事である。


僕はコレを読んで「変わらなきゃな」と思っている人に向けてこの言葉を書いている。あくまでターゲットはその人だ。またバカを言ってるよ、と思う人にではなく、キチンと目の前の現実に向き合う人に向けて書いているのだ。


「誰かに届け」ではなく、「そういった(特定の)人に向けて届け」と思っていることを考慮に入れて、その気になる人はもう一度頭からこの記事を読んでくれると少し意味がわかるだろう。



では、また明日
長濱(2024.4.16)



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