見出し画像

『ディーピカー/女神の闘い』

 去る1月5日、インド首都ニューデリーのジャワハルラール・ネルー大学(JNU)のキャンパスを、鉄製の棒や強酸を手にした覆面集団が襲撃し、39人の学生と教師を負傷させました。目撃者の証言により、与党インド人民党(BJP)の学生部隊:全インド学生評議会(ABVP)のメンバーが攻撃に加わっていたことが分かり、翌6日、評議会の共同秘書はテレビ局の取材に応じて、攻撃への関与を認めました。事の発端は、与党モーディー政権が断行した市民権修正法(CAA)にあります。隣接国からの移民に対し、宗教を限定して市民権を与えるという、この極めて違憲性が高い新法にJNUの学生たちが反対の声をあげ、そんな彼らの行動を「非国民!」と断じたヒンドゥー教右翼が、今回のテロ事件を起こしたのです。
こういった言論弾圧に対し、JNU学生は平和的な抗議集会を開きました。そこに、サポーターとして突然現れたのが日本でも人気のあるボリウッド女優、ディーピカー・パードコーンだったのです。
《英語ニュース》
https://youtu.be/bl84cMpiWXg
〔※ディーピカーの周囲に学生たちが叫ぶ「ジャイ・ビーム!(アンベードカル万歳)」の声が響き渡る。〕

 そのディーピカー主演の時代劇大作『パドマーワト/女神の誕生』(2018年インド公開)のDVD、BLDが、先ごろ日本でも発売されました。
本作は、製作の段階から内容に関して憶測と風聞に基づく誤解が飛び交い、多くの物議を醸しました。批判派はヒンドゥー教至上主義者をバックに持ち、
「誇り高きラージプート族と、われらがヒンドゥー教徒を侮辱する内容 (に違いない)」
と混乱を煽りました。やがて、撮影中にセットが襲撃・放火され、複数の地域で上映中止を求める暴動が発生、一部の暴徒がスクールバスを破壊する…等々の事件が起きました。主演のディーピカーには「お前の鼻を切り落としてやる」との脅迫もあったそうです。
〔※そういった過去のケースを考慮し、JNU学生運動のリーダーは抗議集会の後「勘違いしないでください。ディーピカーさんは、負傷した学生にお見舞の言葉をかけてくれた以外、一切何も言いませんでした。僕らのシュプレヒコールを、ただ黙って見守っていただけです」と声明を発表した。〕

 様々な波乱を乗り越えて、当初の予定からおよそ二ケ月遅れで公開された『パドマーワト/女神の誕生』
本編開始前の「DISCLAIMERS」には、異例とも言える長々とした〝釈明〟が表示されます。設定描写の細部に渡って架空・創作を強調するその気遣いこそ、本作がインド国内で直面した数々の困難を表している、と云えるでしょう。
 物語は、13世紀の終わりごろから始まります。
この作品で〝凶悪な侵略者〟として描かれているデリーのスルターン朝は、13世紀初頭にインドの仏教を滅ぼした勢力です。そして、ディーピカー演じる主人公パドマーワティは、シンガール(スリランカ)国の王女で「仏教徒」であり、ヒンドゥー教徒の王家に嫁ぐ設定なのです。譬えて言うなら〝インド史のかさぶた〟を剥がすような、エンターテインメント化するには些かデリケートな部分に触れています。
ですが、それらの不安を一気に払拭するような演出が序盤に用意されています。パドマーワティはシンガールの密林で狩りの途中、誤ってメーワール国王ラタン・シンを射てしまいます。仏教寺院に運び込んで僧侶に手当を頼み、その後看病のため寺へ参る時、仏塔(ストゥーパ)の周りを〝チベット仏教のマニ車〟を回しながら参拝するのです。場所はスリランカのはずなのに、遥か遠いヒマラヤの習慣…。長々とした「DISCLAIMERS」が、ヴィジュアルで伝わるくだりですね。

 さて、ラタン・シンのプロポーズを受けたパドマーワティは、メーワール国のチットール城へお輿入れします。
そこで彼女を待ち受けていたのは、ヒンドゥー教のブラーマン(波羅門):ラーガウ・チェータン。この人物は「राजगुरु(ラージ・グル)」と呼ばれる地位で、王に助言する立場にありました。『バーフバリ』にもビッジャラデーヴァの腰巾着のような波羅門が出て来ますが、ヒンドゥー教の王家は基本的にクシャトリヤ(武士階級)なので、ああいった神官…まつりごとの宗教的妥当性を判断する役目…が必要とされたわけです。
伝統舞踊の奉納を前に、花嫁と花婿が見つめ合う時、側近の武者が言います。
「अब दीक्षा करने आपको (アブ・ディークシャ・カルネ・アープコー。まず改宗式をせねばなりません)」
思想信教の自由など無い時代ですから、仏教徒のパドマーワティは嫁ぎ先のヒンドゥー教に改宗する必要がありました。また、時代背景から考えると、波羅門ラーガウ・チェータンはおそらく初めて仏教徒に接しただろうと思われます。
 チェータン「なんと、お美しい」
 ラタン王「容姿だけではないぞ。妃は、類まれな才覚も備えておる」
こうして、दीक्षा(ディークシャ)と呼ばれる改宗の面接試験が始まるわけですが、ラーガウは10項目の質問を次々と繰り出します。
①王妃様、貴女の人生に大切なものは、姿か?才覚か?
「才覚です」

このやり取りで姿を意味する単語はरूप(ループ)。漢訳仏教でいう〝色即是空〟の「色」です。才覚はगुण(グン)で「功徳」と漢訳されます。
②では、容姿が意味するものは何ぞや?
「それは見る者次第です」

恒常不変な実体を認めない仏教思想の基本概念ですね。
③つまり、どういうことですか?
「石をシヴァ・リンガに見立てる者もいれば、シヴァ・リンガをただの石と見る者もいるでしょう」

挑発的とも取られかねない答え方ですが、仏教徒なら言って当然のこと。念のためこの問答は、シヴァ・リンガを本尊とする王宮内のヒンドゥー寺院で行われています。
④ふむ。では王妃様が、人生を三つの言葉で言い表すとしたら?
「永遠、純愛、そして献身です」

ここで永遠と字幕表示された原語はअमृत(アムリット)で、ヒンドゥー教では「不死の霊薬」を意味します。漢訳仏教では「甘露」と記され、悟りの境地の比喩になります。また、甘露王といえば阿弥陀仏の別称にもなります。
ところで、ヒンドゥー教で「人生の三大目的」とされるのは、アルタ(अर्थ。実質的利益)・カーマ(काम。性愛)・ダルマ(धर्म。宗教、規範)の三つです。なので、パドマーワティは実利に対して「悟り」と答えた、と見ることもできるでしょう。二番目の性愛に対しては純愛(प्रेम。プレーム)で答え、このプレームには、三番目の献身に通じる意味も含まれています。
ラーガウ・チェータンは畳み掛けます。性愛に対して純愛で返されたのですから、聞き捨てならん、というところでしょう。
⑤ならば、愛とは?
「神の目に浮かぶ喜びの涙です」

まるで予想だにしなかった答えでしょうね。インドで唯一、神について講釈できる身分が波羅門階級なのですから。
⑥涙とは?
「幸いと悲しみの高まりです」

パドマーワティは、幸いと悲しみを〝楽(सुख。スク)と苦(दुःख。ドゥク)〟という韻を踏んだ対語を用いて、表裏一体=涙として答えます。仏教の説く「一切皆苦」ですね。
⑦幸いとは?
「幻です」

ヒンドゥー教では実利・性愛・規範を完遂した先に「幸い」が得られる、と説きます。それを彼女は「幻」と言い切ったわけです。
⑧王妃様は戦術の心得もおありとか。いくさにおける最大の武器とは?
「勇気です」

パドマーワティにとっては今まさに臨んでいるこの改宗問答こそ戦場。「私は最大の武器を持って貴師に対峙しております」と。
⑨戦場で最大の難局とは?
「評定(ひょうじょう)を待つ時です」

つまり「今この瞬間、私が王妃たり得る人間かどうか貴師の御判断を待っている時こそが、最大の難局です」と。
⑩戦いにおける最大の賜物は?
「祝福です」

原語のआशीर्वाद(アーシールヴァード)とは、ブラーマンが信者に授ける〝幸運の祈り〟のこと。そう言われたチェータンは半ば反射的に祝福し、すぐに自分が「一本取られた」ことに気付きます。戦争において賜物といえば領土や名声ですが、王の助言者たる波羅門から祝福を受けた=王妃としての地位を得たわけですから、彼女の完全勝利でした。
 このあとチェータンは、王と王妃の閨を覗こうとして傷を負います。逮捕されて尋問を受け、国から追放されるのですが、おそらく彼の頭の中には改宗式で一本取られた腹いせと、カースト最高位にある自分を罰せられる者などいない、という宗教的な思い込みもあったでしょう。なぜならヒンドゥーの教義では、ブラーマンを傷付けることは最大の悪業とされているからです。ちなみに、その教義を作ったのは他でもない波羅門階級ですから、やりたい放題だったわけです。
追放されたあと、チェータンはイスラム教の凶王アラーウッディーンに取り入り、おのれの復讐を代行させようと、チットール攻略と王妃の略奪をけしかけます。
 ラタン・シン王は、和議を装う敵の術中にはまり、拉致監禁されてしまいます。パドマーワティ妃は策を講じ、アラーウッディーン宛に手紙を書きます。それを代読したチェータンは、文末に記された一節を見て、思わず笑い出しまた。
「いやはや、馬鹿げとりますな!〝チェータンの首がチットール城に届かぬ限り、わが輿は動かぬものと知るがよい〟などと書いてありますぞ、わっはっは!」
自分は神聖不可侵な階級だ、と信じ切っていたからですね。

 しかし、イスラム教徒のアラーウッディーンにとって、それは〝異教徒の成敗〟でしかありません。凶王はニヤリと笑い、
「…承知した」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?