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おんころころ〜生命の詩

 ここ数年、日本でも改めて人気を博しているインド映画。改めて、と書いたのは言うまでもなく『ムトゥ 踊るマハラジャ(タミル語。1998年日本公開)の大ヒット以来、を意味します。例えば、今でもインド映画未見者との会話で「ムトー踊るナントカみたいなやつ?」と返されるほど、日本国内では代名詞的存在になっていました。
そして〝改めて〟の火付け役となったのは『バーフバリ』(前編2015年、後編2017年)、加えて今年公開された『RRR』でしょう。

「バーフバリ」と「RRR」

 ところで、上に引いた三作品に共通している点は何か?それは、いずれも南インドで製作され海外でもヒットした、ということでしょう。この他にも日本で興行に掛けられたインドの娯楽映画には、南の作品──マッキー、ロボット、響け!情熱のムリダンガム等──がいくつかあります。
 北とは異なる言語文化と気候風土から生み出されたエンタメですが、同時に、北インドの映画では扱いにくいテーマを正面に据えた物語作りにも特徴があります。その一つは「弱者」からの視点、所謂カースト問題です。
 インドで今なお残る非人道的な身分差別、カースト制の起源について概略を記しましょう。
紀元前千五百年頃よりカスピ海沿岸から南下を始めたアーリア人は各地の先住民を侵略。やがて、インダス河を越えてガンジス河流域に至り、さらに南下を続けたアーリア人は、次第にインド先住民族のドラヴィダ人と混血していきました。そしてアーリア系の血が濃い、肌の白い者から順に、下へ下へと階級を作っていきました。これをवर्ण(ヴァルナ╱肌の色による差別)といいます。また、身分が下がるに連れて力仕事・汚れ仕事の役割をよりハードな方向へと振り分けたものが、जाती(ジャーティー╱世襲仕事)です。
 「肌の色が濃く、汚れ仕事に携わる者は身分が低い」。じつに馬鹿げた言い分ですが、その構造自体が侵略者の論理によるものであり、敢えて言うならば、現代日本のイジメやハラスメントにも通じる強者の論理でもあります。念のため、この宗教的しきたりは、1950年発布の現行インド憲法によって禁止されています。

ヒンドゥー教最下層の人々

 北インドの娯楽映画がカースト問題を取り上げにくい理由(注:扱った作品が皆無と言う意味ではありません)は、やはりアーリア人の文化が主流を占めていることが大きいでしょう。それに対し、ドラヴィダ文化をアイデンティティとする南の風土は、人権意識の啓発の上でも強味になり得ます。

 さて、一説によれば、太古のアーリア人には南征の過程でそれまで経験したことがない土着の疾病に倒れる者がいたと推測され、科学の無い時代ゆえ彼らはこの風土感染症を宗教的〝穢れ〟と妄信し、文字通り「病魔の仕業」と忌み嫌って、差別と階級制を強化していった…とも云われます。
しかし、先住民族ドラヴィダ人には免疫力が備わっており、あるいはまた医療と一体化した呪術儀礼も伝承されていたため、侵略に膝を屈しつつも、社会的な需要は絶えなかったようです。その呪術医療の現場で活動していたのは、主として女性でした。世界各地の文明が黎明期において母系社会を形成していたように、女性は生命を生み出す大自然のちからを具現化した存在と見られていたわけです。

 そのなごりは、今も日本仏教の密教系宗派に伝えられています。
薬師如来の真言(小呪)が、それです。
「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
 サンスクリット音〝オーム・フル・フル・チャンダーリー・マータンギー・スヴァーハー〟
この真言は「ころころ」という音の親しみ易さも手伝ってか、古くから日本の民間に浸透していたようです。しかし、小呪の中でもっとも重要な役割を占めているのは、インド最下層民の呼称なのです。
「せんだり」つまりチャンダーリーは音写:旃陀羅(せんだら)の女性形、「まとうぎ」つまりマータンギーは音写:摩登伽(まとうが)の女性形です。
チャンダーラ(旃陀羅)とは、カースト制を定めた『マヌ法典』によれば四姓の最下位シュードラ(農奴階級)の男性と最高位ブラーマン(司祭階級)の女性の間に生まれた者のことで、要するにヒンドゥー教的には「在ってはならない生命」という意味になります。しかも、男尊女卑のヒンドゥー社会でその女性形チャンダーリーとなれば、呼称自体が怨嗟に塗れていると云えます。
マータンガ(摩登伽)は最下層に属する男性を指しますが、その女性形マータンギーは知識と芸能、音楽を支配する〝闇の女神〟として崇められます。マータンギーへの祭祀は、怨敵を意のままに操り、人びとの心を惹き寄せる呪力が得られる、と信じられました。同時に〝穢れ・不吉〟の具現化とされ、だからこそ「魔を祓う」には絶大な効力を発揮すると考えられました。

《拙訳》
「オーム(聖音)、快癒せしめよ、快癒せしめよ。差別の底辺に追いやられ、この世の闇を見て来た女たちよ。その不屈の生命力により、人々に幸をもたらし給え」

 今日のジェンダー感覚からすれば、率直に言って、首をひねらざる得ない概念です。また、身分差別を前提としている点も見過ごすわけにはいきません。ですが、薬師小呪に込められたメッセージは、虐げられた人々の最終的な勝利を語っている、とも云えるのではないでしょうか。

仏教に改宗して差別をはねのけた女性たち

 最後に、もっとも基本的なことを記します。
差別は痛みの問題なのです。
「へえ~、カースト制度って、そうなってるのかあ」
これではまったくの無関心よりちょっとマシなだけでしょう。例えて言うなら、足を踏まれて苦痛を訴えてる人を見て、踏み付けている人の靴の銘柄に目が行くようなものです。

ジャイ・ビーム!

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