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おばあさんになっても書く

 昨日、現代詩手帖に、詩を2篇郵送した。
 今は、毎月出す現代詩手帖用の詩を作るのと、小説は、太宰治賞に向けて書いたのを推敲している。
 太宰治賞は、50枚から出せるのがいい。ちょっと前に、100枚ぐらいの小説しか書けない、とnoteに書いたんだけど、最近はさらに短くなっていて、70枚ぐらいしか書けない。多分、もっと長いのを書いた方がいいとは思うんだけど、書けないのだからしかたがない。
 わたしは今まで、五大文芸誌の新人賞は全部応募したことがある。何回も応募して、何回も落ちた。
 文學界は1度も予選通過したことがない。他の賞も、1度だけ1次か2次を通過して、あとは全然だめだった。最終候補に残れたのは、わたしの場合、たまたまのタイミング、それは作品のできとか、選考の流れとか、そういった運が、うまい具合にいったからだと思う。
 最近では、予選通過できなくても、あまり落ち込まないくらいには、慣れてしまった。それがいいのか悪いのかわからない。
 おばあさんになっても、わたしは書く。おばあさんになればなるほど、奇妙な、誰にも理解されないような小説を書いている気もする。
 死ぬ間際まで書いて、病院のベッドで原稿を封筒に入れて「これを文學界新人賞に送っておくれ」と娘か息子に頼んで、その直後、息絶える。
 わたしの死後、文學界を買った娘が、予選通過作発表のページに「長澤沙也加」の名前を確認し「お母さん、やったね……」と涙を流すのだ。

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