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すごいー

 小林秀雄の『Xへの手紙・私小説論』を読み始めた。
 昔の人が書くものは、風景や言葉が、今はないものもあり、調べたり調べなかったり、前はその都度調べていたけど、今は、いちいち調べるために読むのを止めると文章のリズムが掴めなくて、体の中に入ってこない感じがするのと、単に面倒で、調べないで読み続けるのだけど、それでも、他の部分で補い想像できるのもあるし「他の部分で補い想像」以外の部分で、なんかわかるー! となるから不思議だし面白い。
 国語便覧に載っていた、作家のプロフィールと顔写真一覧を読むのが高校のとき好きだったことを思い出して、アマゾンで見たらフルカラーなのに意外に安かったから、少し前に買って読んだら、小林秀雄と中原中也はひとりの女の人と三角関係にあったようで、そのことは高校のときには知らなかったし、わたしは小林秀雄のことはつい最近知った。
『Xへの手紙・私小説論』には、論だけでなくて短い創作も載っていて、冒頭から文章すごい、となるんだけど、昔の文豪の文章は全部そうなのは、この人はすごい文豪ですごいものを書く、有名な文豪なのだからすごい文章に違いない、とこちらが肩をいからせて読み、だからすごいー、とはなるが疲れるー、ともなるがやっぱりすごい。
 だけど、すごいって、すごいのかな。
 猫がじっと遠くを見ている背中とか、うさぎのずっとひくひくしている鼻とか、そんな中にもすごいが隠れている、見つからないすごさ。だけど、すごいは、見つからなければ、すごくはない。

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