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頭のお椀にみそ汁を注ぐ

 小林秀雄『考えるヒント3』を読んでいる。
「3」ということは1と2があるのだろうけど、今読んでいるのは実家にあった古い本で1976年の文春文庫で3しかなかった。
「美を求める心」という章の最初の方から引用。

 端的に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。

小林秀雄『考えるヒント3』

 この引用で言われているようなことが、あとにも違う表現で繰り返し出てくる。
 なにかを見ていると、どうしても言葉がつらつらと出てきてしまう。
 言葉で頭がいっぱいになってしまって、言葉に引っ張られて、自分が最初からその言葉で考えているような気になってしまう。
 見ること、感じること、まずは頭をからっぽにして、ただ見る。
 それを意識しながら、わたしは昼に、みそ汁を飲んでいた。
 みそ汁は、わたしが作ったみそ汁だ。しめじと大根を薄く切ったのが入っている。味噌を少し入れ過ぎたようで、味が濃い。大根は、適当に切られているので、大きさがまばらで、形も不揃いで、わたしは自分が大根を切っていたときの手元を思い出す。血管が手の甲に浮き出ていて、しっかりと加齢している手に包丁が握られている。それを見ているわたしは、見ている自分と大根を切っている手元が、分裂しているように思えてきて、知らない人のユーチューブのお料理動画を眺めているような気持ちになった。
 と、みそ汁を飲みながら、じっとお椀の中を見て、わたしは感じようと、頭をからっぽにしながら、けれど、こうして文章にしてしまったので、もう頭はからっぽではない。頭のお椀が、大根としめじのみそ汁でたぷたぷしている。

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