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【雑感&俳句11句『光る君へ』】「創る」ということ
2024年の大河ドラマ『光る君へ』。
毎週ワクワク楽しみにしていた日々も終わってしまいました…
このドラマの感動や魅力はたくさんあります。
特に俳句をつくる人間としては、主人公まひろがどのように紫式部に、創作者になっていったか、また『源氏物語』を創作するにいたったかーその辺りの描き方が面白かったです。
俳句と物語。表現方法は異なれど、言葉で世界を創るという点では同じですし。
そこで今回、「創る」という点で共感した2点について記したいと思います。
また、(作品数が中途半端ですが^_^;)このドラマをきっかけに浮かんだ俳句11句を掲載したいと思います(作品は敢えて季節順にせず構成しています)。お読みいただければ幸いです。
「創る」という点で共感した2点
1)何かを胸の裡に「抱えている」から書ける
ある時、まひろは弟の惟規(のぶのり)に「私らしさ(自分の特徴)はなんだろう」と尋ねます。それに対して惟規は「ややこしいところ、根が暗くて鬱陶しいところ」と答えます。
他の方も指摘されていますが、これはまさに創る人の特徴だと思います。
それは裏を返せば、「日常生活の中では解消しきれない思いを抱えているこそ創る(表現する)のだ」とも言えます。
そういったエナジーや衝動は表現というかたちによって消化されて、初めてその正体が見えることがある。あるいは、本人も思いがけない美しい世界を現出させることがある(ちょっと「みにくいアヒルの子」みたいですが)。
物語を振り返ると、若い頃のまひろは人づきあいがあまり上手ではなく、本人にはまったく悪気のないKY気質があり、集団の中では少し浮いてしまう部分が作品の中で幾度か描かれていました。
社会性という点で不器用というところも、創る人の特徴に共通してみられる要素と思います。
そんな「自分で自分の内面をもてあます重さ・不器用さ」がまひろにあったからこそ最終的にそれを昇華する手段として「書くこと」を彼女が選んだことは、己の人生を決定をする動機としても物語の展開としても納得のいく流れであったと思います(私自身の実人生とも重なるところがあり、ドラマを観ていてまひろの抱える鬱屈や葛藤は他人事と思えませんでした)。
自分自身の手で表現をすることで自分と世界を認識し、受け入れ、また前へ進んでいく。
社会性が希薄で個性(こだわり)が強い人間(個)が客観化を覚えることで、最終的に表現の分野で社会を、万人を曳きつける物語(普遍)を生み出す。
「表現というものの力はバケモノだな、凄まじいな」
まひろというキャラクターと人生の描かれ方から再認識しました。
2)目の前のものを受け入れる、それがいつか創作の源・エナジーになるのだから
『光る君へ』のまひろは貴族ではありますが決して裕福ではなく、宮廷に仕えて作家としての地位を確立するまでに様々な紆余曲折を経験しています。
創作方面に関係したエピソードを挙げると、恋文の代書をやったこともあるし、散楽の芝居のアイデア出しをしてみたり。
どれも小さな経験ですが、恋文の代書によって脳内とはいえ老若男女を経験したことは後の源氏物語におけるさまざまなキャラクターの描き方の礎になったことは見て取れます。
また、散楽の芝居のアイデア出しは自分が知らない世界であってもたやすく没入できるまひろの感性と想像力の豊かさを端的に示しています。
そして、これが肝心だと思うのですが、恋文の代書にしろ散楽の芝居のアイデア出しにしろ、まひろは興味を持つことに対しては身分の高低など度外視して柔軟に受け入れ的確に反応します。
その素直さ、視野の広さ、(物事をフィルターを通して見ない)偏見の無さが後に彼女が物語を創作するうえでどれほど役に立ったか、想像に難くありません。
また、前述のように彼女が作家として独り立ちするのはかなり後になってからであり、それまでの生活は苦難の連続でした。
でも、彼女は(胸の裡は葛藤や焦りが去来していたでしょうが)生活上では目前の状況を受け入れ淡々と日々を過ごしていきます。
この「生活上で目前の状況を受け入れ、日々を過ごす」、これも創作のエナジーには大事だと思うのです。
何かを創ることは特別なところから出てきはしない。
なぜなら、必ず創作者の内側から生まれ出てくるものだから。
そのためのエナジーの源として、日々の生活や経験、観察力等が必要となってくる。
そうやって、創作者の内側に蓄積された経験や思いは時間と共に熟成され、やがて時機がくれば自然と表現として姿を表わす(もちろん、そのためには「何かを創りたい」という意思が本人の中にある必要があります)。
そのことは、ドラマの中でまひろの内に源氏物語が生まれた瞬間が言葉が書かれた数々の紙片が天から降ってきたシーンとして描かれた点に象徴されていると言えましょう。
また、まひろの言葉
「我が身に起きたことは、すべて物語の種にございます」
これも己の人生や経験があるゆえに創作は生まれるのだ、という思いの表れと思います。
そして、ここからが筆者の個人的な見解ですが、まひろが紫式部になるまでの道程を見ていると、こんな言葉が浮かぶのです。
「最初から目指す場所(表現形態や表現ジャンル)にストレートに辿り着けなくてもいい。ただ、その道を探ることを止めないこと、それだけを守ればいい」
これはまた、俳句における今日までの自分自身の道程とも重なる部分があります。
そして、これからの自分の俳句創作に向けてまひろから、このドラマから静かな励ましを受け取ったようにも感じます。
改めて、2024年を『光る君へ』と共に過ごすことができたことに感謝します。
▣俳句作品
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とこしへに光
はだれ野の眩し紫式部の恋
青春の終りの二人春落葉
うぐひすのこゑ平仮名の馥郁と
月光のこゑを集めし物語
あの世より冥きまなこよ望月よ
胸の底あの日の望月は今も
月よりも橋の向うの君遠く
寒紅の口のふつくら問ひ質す
フィナーレへ冬満月の上がりけり
絵扇の二人よとこしへに光
抗はず明日へ紫式部の実