俳句の「題」、どう捉えるか
題が「難しい!」ってどういうことだろう?
俳句講座を毎月担当していますが、そのほとんどでは、次回の題(兼題)として生徒さんに季語を提示、講座当日に作品を毎回提出してもらいます。
そして、作品を基に句会を行っています(自治体等では鑑賞スタイル)。
この題、季節ごとに歳時記を見て時候や天文などの様々なジャンルから
なるべく偏りがないように出しているのですが、提示した題について句会中・後に「難しい!」と言われることがあります。
今なら「実際に使ってみたうえでの素直な感想なんだな」とわかるのですが、講座を担当し始めた頃は言われるたびにキョトン。
「え~~? そんなにこの季語は難しい??
どのあたりがそう感じるのかな??」
その後も生徒さんの反応を見続けているうちに、次第にわかってきた。
「難しい!」には、どうやら下記のような意味があるらしい。
そうか~。確かに結社などの句会で、そういう言葉を聞いたことがある。
私が所属してきた句会では、上記のような反応をストレートに出す人はいなかったのですが、皆、口には出さないだけで、内心はそう思っている(た)んだろうな。
私自身も結社・超結社等の句会での兼題や席題に対して、
上記三パターンのような感想をもつことはあります。
でも、それは「難しい」という意味ではない。
「むむ! これは取り組み甲斐がありそう」
「やったことがないから一つの挑戦! ラッキー☆」
そんな捉え方。
だから、「難しい」という生徒さんの言葉の意味が最初、わからなかったのだと思います。
経験値が増えて嬉しい
しかし……中にはいたのです、私と同じような捉え方の生徒さん!
ある講座の帰り際、その方(Aさん)はこう言いました。
「今回の季語は難しかったけど、
自分だったら選ばない、使わないものだった。
だから、こうやって出してもらえると
俳句制作の経験値が増えるから嬉しい」
「そうそう! そうなのよ!!
難しく感じたり、手ごわい季語での作句って
未知の体験との出会いと自分の表現の可能性を
客観的に知ることができる、
そういうメリットがあるのよ!!💖」
我が意を得たり、とはまさにこのこと。
こちらも嬉しくなりました。有難いです☺
Aさんの俳句作品・評はいずれも質が高い。
特に作品は日常描写に等身大の心情を滲ませ、
発見が光る内容。
その作品を見ると
「悔しいわ~。こういう言い方があったんだ!
日和った句を詠んでんじゃないぜ、自分」
内心、反省することもたびたび(^^;
その後、俳句講師としての経験年数が経ち、
多くの生徒さんをみているうちに、
私に直接話してくれなくても、
Aさんのような捉え方ができる方が
他にもいることが
(講座や俳句に対する態度や姿勢を見ていて)
わかってきました。
その人たちには共通点がある。
それは「季語に対して前向き」なところ。
(得意・不得意は置いておいて)
どんな季語が出ても「好き・嫌い」の
フィルターをかけずに受け止め、トライできる。
実際に、Aさんをはじめこのタイプの方々は、
自然体で素直なよさを失わないまま、
着実に俳句が上達しています。
難しい(未知の)題はチャンス、ネガティブに捉えない
一方、兼題について下記のような意見を耳にすることもあります。
うーん……気持ちはよくわかる。わかるんだけど。
(経験の多少を問わず)あまり口にしない方がいいと個人的に思う。
理由は二つ。
一つ目、言語化することでその季語に対する自分の「苦手意識」を明確化してしまい、負の暗示を自分にかけてしまう可能性がある。
二つ目は特に結社などの句会の場でですが、こういう内容を発言すると、
「あの人、やる気がないんだな」「言い訳してるな」と
マイナスイメージで受け取られる可能性が少なくない
(怖いし残念だけど実話)。
「どこから手を付けたらよいのかわからない、この季語」
「経験がない季語だから上手に作れるか不安」
「見たこともないから、見当違いの句を出しちゃったらどうしよう」
そんな葛藤は誰しもあると思います。
でも、難しい(未知の)季語こそ、上記のAさんのように
「自分の表現の幅を広げ、季語や作句の経験を増やすチャンス!」
と捉えてみてはいかがでしょうか。
機会は出会いでもある。
大げさに言えば偶然のもたらす恩恵。
せっかくの機会、経験として楽しむのも一つの方法。
そして、「難しそう」な季語は実は取り組むと案外難しくない、
ということもしばしばあります。
そうやって一つずつ未知の季語を克服していくと、
次第に攻略法というか「題の取り組み方」にも慣れて、
そんなに不安にならずに済む。経験したもの勝ちな部分がある。
他者の成功作を観察
とはいえ、どうしても季語に対してイメージをもてず何とか作って出した結果、句会では無点……😿
そんな空しい経験、私もこれまでたくさんあります(-_-;)
そういうときは、(悔しいけど)高得点の句を
とにかく目に焼き付ける!
季語の活かし方とアプローチ方法、描き方。
どこをどう切り取って作品としたのか。
次へのヒントとなるように
「一つの学び(経験)の機会」と
捉えるようにする。
(句会直後でもよいし、少し時間が経った頃でもよいと思います)
最後に
知り合いの俳句関係者の話です。
その人が俳句を始めて間もない頃に参加した某句会。
席題の「詠み込み」の一つが
「ぷちぷち」
その題は、その人にとって最初の詠み込みでした。
あれから随分時間が経ちましたが、
今もその人は「ぷちぷち」の衝撃をよく口にします。
最も最初にこんな詠み込み経験があれば、その後にどんな変わった題が来ても怖くないかも……。
ちなみに私もその句会に参加していましたが、
「誰だよ、こんな変な題を出したの~💦」と
内心焦りまくり。案の定、句はボーロボロ(^^;
そして、同時に出ていた題の一つが「梨」。
ぷちぷちに足を引っ張られ、この題の作品は
提出時間ギリギリで完成。
それが下記の俳句、
後に第一句集『揮発』に収載したものです。
やはり、季語と出会いの時機ってのは個人ごとにあるんだな、
そして偶然の恩恵は大きいな、と思います。
梨剝いて360°ひとり
※本稿は題が季語の場合のエピソードですが、季語以外の「詠み込み」でも通用すると考えます。