
俳句賞をとった時:結社の場合
夏~秋は俳句賞の発表や
〆切の多い季節ではないでしょうか。
今回、結社でですが実際にとった時を
少し書いてみました。
「ムリじゃ、ムリムリ。今回はやらん」
2014年、所属する俳句結社の賞を受賞しました。
当初、下記の理由で私は応募するつもりはありませんでした。
1)仕事がとても忙しかった
2)だから気持ちも体もクタクタだった
応募句数は20句。これを1作品として構成するのは、時間とともに、それなりの気力・体力が要ります。
私は「1日1句」を日課にしているのですが、
1カ月続けたからといって句数はクリアしても、できた句がすべて使えるわけではない。
「や~めた。それより少しでも寝よう」
そんな停滞モードでした(-_-;)
2013年の挑戦
実は2013年に私は同じ賞に挑戦し、
最終2作に残った結果、佳作になりました。
この賞には、10年くらいのブランクをおいての再挑戦。
だからか気合が入りまくり、
「オレが一番だぜ!」みたいな勢いで
まとめた記憶があります←おバカw
でも、結果はダメ。
これは悔しかった。本当に悔しかった。
もう少しだったのに!!
でも、評価をしてほしかった選考委員の特選を頂け、嬉しさと自信も得ました。それはよかったです。
やっぱ、やろうかね
……なので、2014年も当然トライしようとしてたのに、上記の理由で気持ちがまーったく動かない。
それが〆切一カ月を切った頃
「やっぱやりたい」
そんなシンプルな思いが突如むくっと。
そのままそれはあれよあれよと
入道雲のように大きくなり。
そこからは、高速スピードでまとめました。
去年の悔しさが呼び起こされたのかな?
丹田となる句の存在
でも正直、句数が結構足りなかったので
ギリギリで捻りだしたり (^^;
ただ、全体の構成を考えたときに
「中心(核)となる句の存在」が
すぐに見えました。
その時に「これはまとめられる!」という
手応えを得たと同時に
句の大体の配置が浮かんだことを
よく覚えています。
人間の体のうち「丹田」(臍のあたり?)は
体の内外を司る重要な働きを持つ場所と
ヨガの先生から教わった覚えがあります。
それと同じで複数の作品群での構成を行うときも「全体の中でポイント(丹田)となる句」が明確にあればよいのではないか。
そしてその存在がきちんと審査員(読者)に伝われば他の月並の句のたぐいも全体の流れやイメージの中で読まれて「息を吹き返す」可能性があるのではないか。
(そして、そういった月並の作品が全体の緩急を生む役割をも果たすのではないか)
そう思ったのです。全くの個人的見解ですが(^^;
でもこの考えは、後で2つの句集をまとめるときに大変役立ちました。
メールが来てる!
そんな感じの応募でしたので
「受賞しました」のメールを頂いたときは
本当にびっくりしました。
あまり力を入れていない、普段着の姿の俳句たちで平凡ギリギリの作品も入っています。
わからないものです。
「力を入れたときはダメだったのに、
力を抜いたらうまくいった」
みたいなエピソードは耳にしたことは
ありましたが。うーん、まさか。
応募作以上にその「背後」が大事
受賞時に目標としている委員の方から
「この作者はこれまでたくさん俳句を詠んできている、その経験が20句の背後からよくわかった」
という言葉をいただきました。
これが受賞の一番のご褒美でした。
シンプルだけど結局
やりたいなら続けていけばいい。
すぐに結果は出ないことが多いけど、
積み重ねた経験は後で作品に自ずからにじみ出る。
最近、私も選考側に立つことがあるのですが
続けてきた方たちの作品は
着実に変わり進化しています。
そんな「作品の背後の存在(経験)」に出会うと嬉しくなり、「私も頑張ろう」と自然と思います。
そして「やはりまとめる機会がほしいな」
「私は今はどんな作品を詠めるように
なっているのかな」と、たまに作品群に挑戦してみたりしているのです。