なりたい自分になれてる?(4)
文明を感じる町はこの西寧が最後だった。
ここまでくる町ではチベット族の民族衣装も売っており、すぐ染まってしまう僕は毛皮の民族帽子を購入してしまう。口を閉じて鼻で呼吸するとすぐに凍りついてしまうぐらい寒かった。体感的には-18℃ぐらいだったのでないかと思う。そとを歩くにも一苦労だった。空気が薄いという印象はありまりないが標高の高さは感じる。
次の目的地「玉樹(ジェクンド)」まで12時間以上のバスの旅だ。
チケットは2種類ある。寝台バスと通常バスの2つだが、重綱くんのアドバイスで寝台バスはやめておけと言っていたのを思い出し。迷わず寝台バスを選ぶことにした。乗る前のしっかりと防寒しておくようにとも言ってた。そのために帽子を買った。はず・・・。
(※こんな綺麗じゃなかったがイメージはこんなのです。ここにチベット族と荷物がごった返して詰め込まれています。)
そして、中国人がみなもっている水筒が欲しくてさがす。いい彫刻のはいった水筒を9元だったろころを6元に値切って購入する。関西人の血が騒いだのは言うまでもない。
西寧の最後の晩餐で、僕は兄として何も喋らない弟に威厳を見せるべく語った。
「明日からもっと標高の高い場所へ行くわけだ・・・バックパッカーが立ち入らない場所だから、なにかあればすぐに知らせろよ!わかったか!なにか言いっておくことはないか?」
長い沈黙の後一言、弟は言った・・・。
「この・・・イカみたいな麺・・・嫌いや。」
日本からここに至るまで唯一まともい話したはほんとに嘘偽りなしにこれだけだった。
僕はメニューでどれを選んでこのイカみたいな麺が出てきてるのかさっぱりわからなかったがかなりの確率でこの麺を当てていた。量もかなり多く食べ応えがあって美味しと思っていたのだが・・・。その後、随分たってからこの料理が「ベルト麺」と呼ばれるものだと知るのはずっと後の話しだ。今でもこの麺を食べると弟を思い出す。僕らはそんな会話をして羊の串焼きを貪りくって明日のロングドライブに備えることにした。
毎日寝る前に、僕と中井ちゃんの二人で漫才のような掛け合いをして弟を笑わすまで話してから寝てた。中井ちゃんと今年あってから、あの時西寧のホテルで僕が語った「牛拳」なるカンフー奥義の話しが面白かったと言われた。うる覚えだが、遠くの山の寺院でそのカンフーは生まれ牛に乗って町に降りてきてこの町を統治しているという設定だったと思う。なにがそんなにおもろかったのかさっぱりわからないが、たぶん空気が薄かったからハイになってたんだろう。とにかく連夜そんなバカな想像の話しを天井に向かって笑い疲れて寝た。
(※牛拳のイメージ図:山から降りてくる老師・・・。)
寝台バスの一番後ろの席に陣取った。布団がすでに敷いてあり汚いが寝れなくはない。
他の乗客はほとんどチベット族の方々だった。青海湖が窓の外に見えてどこまでも遠くまで見えた。
ずんすんと標高を高く登っていく、その度に気温が落ちていった。標高が高くなると高山病になる可能性があるので痛みを緩和させるのにバファリンが効くと書いてあったので持ってきてた。僕は頭痛の兆候が現れ始め先に薬を飲もうと思ってカバンの中から買ったばかりの水筒を出したらすでに凍りつき始め触ったらビキビキと凍って割れてしまった・・・。どんだけ寒いねんと突っ込みをいれてみた。中井ちゃんも弟もじっとして動かないままだった。まだ日があるうちに1つ目の休憩所にやってきた。トイレに行っておかないとやばいと思い外に出てみる。
「厕所在哪里?(トイレはどこですか)」を連呼してトイレを探す。 するとうんこの塚と呼ばれるくらいでかい山にうんこが凍りついてそこの周りでみんなケツを出してうんこと小便をしていた。さすがにうんこする方法がわからずただただこのうんこのチョモランマを眺めていた・・・。
※画像検索してもあのうんこのチョモランマは探せませんでした。
夜になり、さらに気温が落ちてもう動けなったかった。
ある異変に気がつく、なぜか僕の方に砂が堆積している・・・。
なんなら手ですくえるぐらいの量だ。
はらってみると、ゆっくりではあるが確かに吹き上がってツモってくるではないか・・・。
窓は完全に凍りつき厚い氷の層になっている。
ふと、足元の布団の隙間を起き上がってめくってみた・・・。
バスの右側の後輪が見える!
サビで穴の空いた泥除けが見事な穴が空いてるではないか!
小石が、飛び込んできた。だから布団で塞いでたのだな・・・・。
砂は、窓と車体の隙間から巻き上げられうまく僕の右肩で積もる仕様になっていた。
それをどうにかしようと思う気力はすでになかった。
バスはどこかの平原でトレイ休憩にはいった、時間をみると2時を過ぎていた。外に出て背を伸ばして小便を平原にむけてしたまま上を見上げると星がとても近く綺麗だった。
あれだけの星の数をみたのはいまだにあれ以来ないと思う。
しかしその直後完全にブラックアウトしてよろついた、視界から色が消えてしまいモノクロになってしまった。
「うわ〜中井ちゃん、色がない、色がない、はははははは」
と浮かれてバスへ戻りとりあえず寝ることにした。
こういう時は寝るに限る。
しかし寒さでまともになれなかった、気を失うように寝て到着してたすぐに宿で横になりたかった。朝8時ぐらいにおそらく着いたはずだ。玉樹のメインの通りはT字でそこそこ人がいる感じがするが荒野にちょっとだけできた町のようだ。早速ガイドブックのホテルにチェックインしてシャワーを浴びてから町へくりだした。
町から外れた場所にゴンパがありそこまで行こうと町でタクシーを探しているとチベタンに声をかけられガイドしてくれるとのこと。値段を聞けば50元とな。まぁ車に乗せてもらえるならいいかと払い山登りに・・・。
ガイドの名前は、なんか英語名だった気がする、ダニーだったかな?町で英語を教えてるとかで英語だけはちょっと通じる気さくな兄ちゃんだった。そもそもチベタンは年齢がまったくわからない紫外線でみんな老けて見える。女の子ももうババァか?と思ってもまだ30代だったりする。のであった。
町にのデパートらしき建物にいってみたが基本なにも売ってなかった。その裏の市場の方がまだ品があったくらいだ。赤サンゴのような石のアクセサリと布が大量に売られておりアパレルで栄えとるんか?と思ったくらいだ。食事をするところを散策していると串焼きみたいな店で食べた記憶があるのだがバター茶が出てきてこんなにクソまずい汁を初めて飲んだ。二度と飲めないなと思いほぼ全部残して宿へと戻る。
ダニーは親切にも宿の部屋まで見送ってくれた。またいつかきた時はなにかお礼をするよ的なことを言って別れた。 僕らはこのルートから内地を周り成都へ行く予定だった。(参考:似たルートをブログに書いてる人がいる)
翌朝・・・・
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このあたりで
ダニー盗賊団に「弟」が人質に獲られるのであった。
つづく