心配という名の批判。
時々、遭遇しないだろうか。
「心配」という言葉を使って、相手を傷つける人に。
「心配」という言葉は心を配ると書く。
心を配るとは、細かいところまで配慮したり、注意を払うということだ。
特に人に対して「心配です」という言葉を使う時、
本当に、その場で、その人に、その言葉を送るべきなのかという
心配りが必要なんじゃないかと思う。
なぜなら、心配の背景には、大抵、ネガティブな思いがある。
こうなったらどうしようとか
ああなったら困るとか
今より悪い状況を考えてしまうから「心配」なのだ。
そんなネガティブな波動を人に与えることが
あまり良いことだとは思えない。
最悪なのは
「心配です」という言葉の裏に、批判という刃がある場合だ。
一見、優しげだけど、ネガティブかつ攻撃的。
巧みに隠したつもりでも、その刃は確実に相手に届く。
確信犯は人間のクズだからどうでもいいけど
批判したい気持ちがあるなら、ストレートにそうした方がまだいい。
面と向かって批判するまでの気持ちがないなら
せめて「心配」のふりをするのはやめてほしい。
最近、久しぶりにそういう人に遭遇したもんで(笑
クズではないだろうけど、ちょっと嫌いになった。
自分のことや子供のことも、つい「心配」してしまいがちだけど
目下、できるだけ「信頼」に差し替える努力中。
「心配してます」より「応援してます」が嬉しいよね。