木庭 有生子&撫子 Koba Yuiko&Nadeshiko
大好きなデンマークについてなら、なんでもアリ。料理やお菓子、本、ドラマや映画の感想をはじめ、体験したり、見聞きして感じたことを綴ります。
その日、もしくは前日に感じたことを「しっかり」と、 ときには前後編や①と②などに分けて、まとめた文章です。 推敲した最終稿をここに載せます。 <これまで【note】に綴った日記をカテゴリー分けしました。 その分野だけ読もうかな、というときに>
その日、もしくは前日に感じたことを「あっさり」短めに、 まとめた文章です。 推敲した最終稿をここに載せます。 <これまで【note】に綴った日記をカテゴリー分けしました。 その分野だけ読もうかな、というときに>
2020年を振り返る、大晦日。 この一年、個人的にも母を亡くし、コロナ禍で「会えない」辛さ、もどかしさを痛感しました。 家族や大切な人に限らず、誰かとリアルに会って、ぬくもりを感じられないことがどんなに寂しく、虚しく、健康な心を蝕んでいくことか。 「孤独」とは何なのか、何をもって癒せばいいのか。 やりばのない感情、終わりのない問いと、向き合わざるを得ない日々だったと思います。そしてこの日常は、明日を迎えても、2021年も続くでしょう。悲しいけれど。 ある人形劇の動画をご紹
9日に閉幕した、第33回東京国際映画祭(TIFF)。 わたしは4Kリマスター版のマレーシア映画『ムクシン』(2006)を観た。この映画祭に足を運んだのは、ほんとうに久しぶりだった。何年ぶりだろうか。偶々その日は、夜に麻布十番で食事の約束があり、時間がぽっかり空いていた。なら映画でもと検索したら六本木で東京国際映画祭があり、夕方のいい時間に良さそうな映画がやっていた、というわけだ。 だからこの映画との出会いは、偶々、である。 「偶々(たまたま)」。漢字にするとなんだか仰々しい
公開まもない新宿の映画館は、コロナ禍で席を間引きながらも、ほとんど満席だった。両隣の席が空いていて良かったと、わたしは終演後の灯りに俯きながら席を立った。泣き腫らした顔をマスクで隠せて良かった。それくらい、泣いてしまった。 小説は読んでいたから、ストーリーは知っていた。なのにまるで初めて出会う物語のように新鮮で、冒頭の数分から涙がこみあげ、映画が終わるまで泣きっぱなしだった。そんな観客は、わたしだけだったかもしれない。今年7月に母を亡くしたばかりで、個人的な想いが涙腺を壊した
先週の週末(10月2日から4日まで)開催された、『くまもと復興映画祭 』。 素敵な映画祭だった。 観客の一人として参加したわたしは、たくさんの人々の温もりを感じた。 通常なら1700人収容できるという熊本城ホールは、感染対策で間引かれ、おそらく客席にはその半分もいなかったけれど、それでも、温かさで満ちていた。毎回終演後に登壇する行定監督や、各映画の監督や俳優、運営スタッフたちの「熱」が、会場に伝わっていたのだと思う。 この映画祭は、熊本の地方都市である菊池(きくち)で「菊池
昨日、4月15日午前10時(日本時間)。 HBOドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』最終章(第8シーズン)の世界同時放送が始まった。 待望の第1話(S8-1)を観て、俄然面白くなったと個人的な興味を引かれたのは、このドラマの主要人物であるジェイミー・ラニスターと、ユーロン・グレイジョイ。演じているのは二人とも、デンマーク人俳優だ。 アメリカ制作のドラマにデンマークの俳優が?と思われるかもしれないが、めずらしいことではない。北欧の人々は基本的に英語を流暢に話せる。ハリウッド映
新元号が『令和』に決まった。 30年前、『平成』のときは何をしていて何を感じたか。 思いを馳せている人も多いと思う。 わたしは当時、富良野塾の塾生だった。 富良野塾とは、役者とシナリオライターを養成する脚本家・倉本聰の私塾である。ドラマ『北の国から』のような手作りの丸太小屋に住み、皆で共同生活を送っていた。 新聞もテレビもない場所だった(正確にいえば郵便は配達されていたので、新聞は個人で希望すれば入手することはできた。テレビもあったがもっぱらビデオ鑑賞用。塾地が谷の奥地に
音楽の都、ウィーン発の『エリザベート』は、歌だけで物語が進む。 そんな「ソングスルーミュージカル」ならではの魅力があるのだろう。日本でも宝塚や東宝で何度も上演されるほどファンが多く、楽曲の美しさにも定評がある。 今回の旅の最大の目的は、この『エリザベート』。 死神トートを演じる、JYJのジュンスを観ることである。 3年前、番組の取材で初めて出会ったキム・ジュンス(歌手としては、XIA「シア」の名で活動している)を、もっと知りたかった。 東方神起から分裂し不遇の時代を過ごしな
映画『マラソン』(2005)をご存知だろうか。 自閉症の青年がフルマラソンに挑む、実話を基にした韓国映画である。 チョ・スンウという俳優の凄さは、この映画を観ればわかる。 彼についてまったく知らなかったわたしは、本当に自閉症の役者を起用したのかと訝ったほど、「自然」で「チャーミング」な演技だった。 当時、『冬ソナ』ブームで注目され始めた韓国俳優たちのなかでも群を抜く、魅力的な俳優だと思った。映画館を出るなり、彼が出演するほかの映画(『春香伝』『ラブストーリー』)もチェック
初めに断っておくが、わたしはミュージカルが苦手だ。 子供の頃は、熱狂的なヅカファンだった叔母たちに連れられ、宝塚も東宝も何度か観に行ったけれど、あまり魅力を感じなかった。歌で想いや感情を表現する演者たちを、うっとり眺める眼差しがわたしにはないと気づいたのは、二十代の初めだろうか。きらびやかな舞台装置には目を瞠るけれども、物語に没入できず、引いてしまう。ファンにはおそらくたまらないであろうミュージカル独特の世界に気後れしてしまうのだ。 大仰な演出が苦手なのかもしれないし、セリフ
週末、富良野塾の後輩たちの芝居を観るため、久しぶりに札幌へ行った。 いつ以来なのか、思い出せない。卒塾した翌年と翌々年に続けて2回訪れたが、もしかするとそれ以来かもしれない。 駅に降り立った瞬間から、進化した札幌は別世界のようで、見知らぬ街に放り込まれたようだった。ほんとうにここは札幌かと、とくに地下通路の発展ぶりには目を瞠るものがあった。歩いて10分ほどかかるホテルの入り口まで続いている。滑って転ぶ心配もないし、寒さで悴むこともないのは本当にありがたいことだ。 一泊二日で
ホン・サンス監督の映画を観るのは、恥ずかしながら初めてだった。 「恥ずかしながら」と前置きするのは、観よう観ようと思いながらも機会を逸し、その素晴らしさを知らずに今日まで来てしまったから。 ほんとうに後悔するほど、映画『それから』でノックアウトされたというか、この監督の大ファンになってしまった。 公私ともにパートナーである女優キム・ミニとの4部作。 いいなあ。「公私ともに」って、憧れてしまう。日常の「私」は地獄かもしれないけど、突き抜けた作品というのは、どこかそんな濃厚でぎ
先日のポルトガル旅行で、なんとも稀有な再会があった。 まだ旅が始まったばかりの、行きの羽田空港への道のり。 大きなスーツケースをひきずり、品川で京急に乗ったわたしたち夫婦は、とりあえず座ろうと、空いていた席に腰を下ろした。車内はわりと混んでいて隣り合う場所が空いておらず、互いに向かい合う形で、夫は斜め右前の座席へ。 ふう、と息をつくと、夫の隣に座るビジネスマンの黒いキャリーが目に飛び込んだ。機内持ち込み用ほどのサイズで、前面のポケットが全開というか、がばっと開いており、た
夫の還暦祝いに、この夏の旅行はいつになく大奮発をして、夫婦でポルトガルを縦断する旅をした。 「素敵なポルトガル 8日間の旅」と題するパッケージツアーである。 これまでにも旅行会社の企画する海外ツアーに参加したことはあったけれど、どれもほとんど個人旅行に近いものだったので、今回のような長い期間を添乗員つきで、しかも初めて会う方たちと、大所帯で回るのは初めてだった。だから慣れないことも多く、同じツアーの方たちとの距離感にも戸惑いながら、一週間に及ぶ旅はめまぐるしく過ぎていった。
ポーランド戦の終盤 負けを受け入れた 他力に賭けた 過程はどうあれ、懸命だった 彼らは次への切符を手にした コロンビアの虎を撃ち セネガルのライオンに対峙して 何を為すべきか 決めるのは、23人を率いる指揮官 ピッチを駆ける11人が体現する 国を背負う戦いでも 盲従する兵士ではないのだから 何を観たいのか 観客には選ぶ自由がある 個々の視点で楽しめばいい スピリッツを共有しているわけでもない 一己は一億になれないのだから よくやったと賞賛する者もいれば なんなんだあれ
偶然にも、5月20日の今日。 映画『タクシー運転手』を観た。 舞台は、1980年5月に韓国の地方都市である光州で起きた「光州事件」。 主人公のタクシー運転手が、ドイツ人記者を乗せ、ソウルから光州までタクシーを走らせたのが、20日だった。 え、ちょうど今日と同じ日? 80年って、そんなに昔の話じゃないよね? お粗末ながら『光州事件』について、殆ど知らなかったわたしは、物語が進むにつれ、史実に基づいたその殺戮とも言うべき一日を、市民が軍人に殴られ銃で撃たれ道端に捨てられる光
「noteに毎日綴る」を半年続けた3月末、「毎日」書くのをやめた。 単純に「次のステップ」に移りたかったので「毎日」をいったんやめただけなのだが、いったん「duty」を外したら、怠け癖が噴出してしまった。 気づけば4月はほとんどこちらに投稿していない。 昨日、友人から「やめちゃったの?楽しみにしてたのに。書いてよ」というメールをもらった。実際はもっと優しい文面だったけれど、ガツンと叱られたような思いで、大いに反省している。 事の始まりは、わたしの「苦手意識」を克服するため