なでな摘み

花と暮らしnadenaという完全予約制の花屋を営んでいます。「なでな」とは薺のこと。細やかだけど暮らしのすぐそばにある喜びやワクワクの種を自分へのご褒美としてちゃんと与えていく生き方を植物を通して提案していきます。 https://nadena-kurashi.jp/

なでな摘み

花と暮らしnadenaという完全予約制の花屋を営んでいます。「なでな」とは薺のこと。細やかだけど暮らしのすぐそばにある喜びやワクワクの種を自分へのご褒美としてちゃんと与えていく生き方を植物を通して提案していきます。 https://nadena-kurashi.jp/

マガジン

  • 世界が彩りを取り戻す魔法

    今日も街中にカラフルな花たちを置いて回る花屋「花と暮らしnadena」が寄植え定期便プランツを始めた訳は...。職場や自宅にお花を飾ってみたいけど、うまく育てられるかな?という方々の花との暮らしのお手伝いを企てます。

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お店を持たないお花屋さん“花と暮らしnadena”自己紹介

佐賀県神埼市でお店を持たないお花屋さんを営んでいるnadena(なでな)です。 花に携わって24年。 フラワーアレンジ教室の先生、生花店勤務など 花の魅力にどっぷり浸かっています。 ヨーロピアンフラワーデザイン連盟のフラワーアレンジ講師を経て、現在は個人でアレンジメント教室も開いています。 教室では、見本を用意せず、作る方の個性や感性で自由にアレンジメントを楽しんでもらうスタイルです。 花を通じて、お客さまのこんなギフトを贈りたい!という思いを形にするお手伝いをしたい

    • 結婚しました!お店を持たない花屋の新たなスタート

      突然ですが、私、結婚しました。 入籍は今年6月吉日 5月に入り、彼が突然小脳梗塞と診断され入院するというちょっとした事件がありましたが、無事後遺症もなく9月末に結婚式を挙げました。 結婚式の会場装花・ブーケ・ブートニア・ヘッド装花など、会場のお花はすべて自分で用意しました。 本当は、花関係の友人や生徒さんと一緒にみんなで装花を用意するのが夢だったんですが、結局9割は自分でやることになっちゃいました。 今回は結婚のご報告とともに、私の理想を詰め込んだセルフプロデュース

      • 夏を彩る贈り物!8月・9月のオーダーフラワー特集

        お店を持たない花屋 nadenaです。 大切な人に、どんなお花を贈ればその想いが一番伝わるだろう—そんな悩みを抱えたことはありませんか? 私『nadena』は、贈る人の想いを込めた特別なアレンジメントをお届けしています。 私については、こちらの記事をご覧ください。 猛暑が続いた今年の夏、それでも特別な日を彩るため、たくさんのご注文を頂きました。 今回は、8月9月にご注文いただいた素敵なお花たちをご紹介します! お誕生日プレゼントの花束たち~贈る相手のテーマカラーで

        • お花屋さんで迷子にならない!店員さんに聞けないあなたへ

          「お花を贈りたいけれど、お花屋さんにイメージをどのように伝えていいかわからない」 こんな悩みはありませんか? ほとんどの方は、色を伝えるだけで「おまかせ」になってしまいますよね。 オンラインフラワーショップのnadenaが贈りたい花束のイメージの伝え方について解説します。 フラワーアレンジ教室の生徒さんでも花選びは難しい?先日いつも開催しているフラワーアレンジ教室の生徒さんと話していた時の事 レッスン日にはいつもアレンジメント用の花材を用意して会場へ出向き、参加され

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          アフォガートに惹かれた休日

          アフォガートに惹かれた休日

          いつもの場所に

          いつも行くパン屋さんに、いつも行くカフェに 花が咲いていたら それだけで嬉しいかも。 コロナ禍が私たちの気持ちに与えたものを考えてみた。行動を制限され、商売の形を変えなければならなかったり。大声で笑ったり、気兼ねなくご飯を一緒に食べれなくなったり。 当たり前だと思っていた日常の楽しみ、喜びを少し閉じ込められた様な感覚。残念をいつも持ち合わせていたあの頃。 コロナに対する社会の捉え方が変わりつつある今、 皆んな これまでの数年を取り戻すかの様に楽しみや喜びの体験を求めてい

          いつもの場所に

          植物が根付かせるコミュニケーションのカタチ

          コロナウイルスという目に見えない不安との生活を余儀なくされて、私たちの暮らし方や人との交流のバランスは大きく変化した。その変化が幸か不幸かはそれぞれの価値観に依るものだから時の流れと共にその見え方も変わっていくだろう。 ただ実は、コロナ禍になるずっと前からじわじわと感じていた事がある。人が人の(心の)傷みを 無視する様な態度で生きているのを感じていた。それは自分自身の傷みも含めて。無関心と言うのとも少し違って、気づいているけど声にしない。声に出さないから余計にモヤモヤ。他人

          植物が根付かせるコミュニケーションのカタチ