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私は愛されていない

いつだったろう、
この言葉を母に直接ぶつけた日は。




おそらく私が高校生だった頃。

生まれてからずっと、一つ上の兄や2つ下の妹を差し置いて父の愛情を独り占めしていた私は、中学生の頃に起きた父の家庭内暴力によって父をひどく憎み、遠ざけるようになっていた。


幼少期は何でも叶えてくれた父からの愛情を受けていた私が、そんな唯一の存在に対して憎しみを抱いてしまったこと。これによって私の心は愛に飢えるようになっていた。

当時は”愛に飢えていた”ことにすら気付いていない私は、いつもどこか満たされず、原因のわからない不足感を抱えていた。
自分に対し、常に欠乏感でいっぱいだった。



自分を満たしてくれる存在がいなくなり、自分で自分を満たす術も知らない当時の私はそのときの心情をうまく言葉にすることもできず、ただただ自分の内側に抱えていることしかできなかった。

そして母に対してその愛情を求めつつも、それを素直に言葉にすることができなかった。




”自分よりも他の兄弟たちへの愛の方が大きい”
そんな風に無意識に比較するようになっていった。




やがて、
”私は愛されていない”
そう思うようになっていった。




その思いを根強く心に持ったまま、時間だけが経過した。


そしてその強い思い込み通りの現実を私は創造していた。

恋愛をしても相手から大切にされなかったり、そもそも愛されなかったり、パートナーができても愛されないように無意識に振る舞ってしまったり、こじらせてしまったり。

職場でも同様。衝突ばかり。
あらゆる人間関係においてトラブルをこじらせていた。


”どうせ自分は愛されない”
”自分には価値がない”


そんな強い思い込みが私の中の根底にあったことを、私は気付かない。
心の奥底に深く、強く根付いてしまっていた。
それはとても根深くて、仮にそのことが事実でないとしても、自分が心からそうだと信じてしまっていることになる。無意識に。
私たちが意識できないといわれているこの無意識の領域、”潜在意識”の中に刷り込まれてしまっていては気付くことも難しい。




それが表面化され、ようやく自分で気付いたのは母親に対して「愛されていない」とぶつけたときと、最愛の彼へ「私には価値がない」とぶつけたときだった。


母にこの思いを初めてぶつけたとき、
泣きたくないのに涙が溢れた。
それまで溜まっていた感情と共に。

そして同時に、母の目からも涙が溢れていた。


当時、私は高校生活の傍でアルバイトに忙しくしていた。
高校生活では心を許せる友達がいなかったから、どんなことでも打ち明けられるバイト仲間といることが心地が良くて、頻繁にバイト終わりに出かけたり外泊したりを繰り返していた。

母から連絡が来ても鬱陶しく思い、何か言われるのが嫌で何も言わずに出かけることもあった。


自分が安心を感じられる場所が家にはなかった。

当時の私にとって、バイト仲間と一緒にいる時間や彼女らと過ごす空間が唯一、安心できる時間であり場所だった。

本当はその場所が家であって欲しいと望んでいたにもかかわらず。
家が私にとって、安心できる場所ではなかった。


中学生の頃に両親の喧嘩、そして家庭内暴力を目の当たりにしてから、家は私にとって安心できる場所でも、居心地の良い場所でもなくなってしまっていたのだった。

そしてその満たされない安心感を得るために外へ出る。自分を理解してくれる仲間と一緒にいる。
自分を受け入れ、肯定し、共感してくれる友達。

そんな存在が心の拠り所だった。





「あのときのななから言われた言葉が人生で一番ショックだった。子供たちのことは一人残らず精一杯、平等に愛情を注いできたつもりだったから。」

当時を振り返り、母は言った。


そしてその時の私は加えてこう言ったともいう。

「一人っ子がよかった。」 


この言葉を聞いた時、母はひどくショックを受けたと言う。





”ごめん”

心でそう思いつつも、自分も苦しかったことを思いし、その言葉を口にできなかった。


それでも、母の性格を知っている以上、「子供が一番の宝」常々そう口にする母にとって、その言葉がどれだけショックだったかは理解できた。
大人になり、30歳を過ぎてからだったけれども、ようやく。


”子供が欲しくて結婚したようなもの”

そんな母はいつも子供たちのために一生懸命だった。
自分のことはさておき、いつも真っ先に子供たちのことを考え行動していた。当時、母の母(私のお婆ちゃん)はずっと前に亡くなっていて、母は右も左も分からない状態でほぼ一人で初めての育児にはじまり、結果4人の子供を育て上げた。
本当に一から、私たちを育ててくれた。
母はいつもできる限りのことをし、全力投球。
精一杯の愛情を注いでくれた。
そうでなければ、育児なんてできないもの。
子供への愛情がなければ。
母が私に、私たちにしてくれたことを思い返すと数え切れないほど沢山ある。

フルタイムで働きながら、ほぼワンオペで自分のすべてを投げ打って、自分を犠牲にしてまでも一生懸命私たちを育ててくれた。
この事実は変わらない。


そして母も一人の人間であるということ。
母親である前に一人の人間。
悩みだってあったに違いない。

当時、母が生きてきた時代は私が生きてきた時代と違う。
男尊女卑が根強い社会で、つらいこともたくさんあったと思う。
そんなことを当時の私は知る由もなかった。
それでも、”自分よりも何よりもまず子供たちへ”という思いは常に母から感じられていた。


それにもかかわらず、当時の私はいじけてしまった。
何かをきっかけに。小さなことかもしれない。
本当は母に”してもらったこと”はたくさんあるのに、兄弟たちと比較をして、”されなかったこと”ばかりを見て。
そんな寂しさから”愛されていない”といじけてしまったことで、こんなにも長い間こじらせてしまっていた母との関係。


ようやく終止符を打てる時がきた。


母が私を産んだ年齢をとっくに過ぎてから、コーチングを受けたことで自分自身と向き合い、無意識の中にある思い込みに気付き、手放せた。
自分の内側にずっと潜んでいた、癒されずにいた傷をようやく癒してあげることができた。


その瞬間、母への感謝に溢れた。

今の私よりもずっと若い年齢で私たちを産み、衣食住を整え、ここまで育ててくれたこと。
いつも無条件の愛を与えてくれ、
一番の味方でいてくれたこと。

ありがとう。




「私を産んでくれてありがとう。」

それ以来、私は自分の誕生日を迎えると母にこう伝えている。


「誕生日おめでとう。」

別々に暮らす母からこうメッセージがくる度に。


母への感謝と尊敬の念を忘れないための自分の誕生日。私を愛の存在として、この世界に産んでくれてありがとう。


母からもらったこの大切な命を大切に使うこと。
この愛を世に広げていくこと。
これが私が母にできる最大の親孝行だと私は信じ、行動する。




いつどんな時も無条件の愛をくれる母、そして愛犬に会った今日はそんな思いを綴りながらあたたかい涙で溢れている。

もうすぐ誕生日が近いからかもしれない。



いつも本当にありがとう。





With love and gratitude


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NANA|セルフラブサポーター🌻
人生を豊かにするセルフラブコーチング🌳

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