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ぶっきらぼうな深い愛
数日前の朝
ふと、亡くなった大おじの言葉が頭をよぎった。
「自分を表現しなさい。
自分にできることをしなさい。」
大好きな祖父が亡くなってから実のおじいちゃんのように慕ってきた大おじ。祖父の死後以来ずっと、孫のように可愛がってくれていた大おじ。
そんな大おじのことを私たちは”こじじ”と呼んでいた(おじいちゃんのことを”じじ”と呼んでいたので、その弟である大おじは”こじじ”となった)。
こじじは人一倍厳しく、人相も怖くて口も悪かったため、周囲から恐れられる存在だった。
そんなこじじの口から出る言葉は厳しくも、でもあたたかかった。
いつもそこには、愛があった。
若い頃に上京し、表舞台の裏方として下積み時代を経験したこじじは、新潟に拠点を構えて自分の会社を設立。死ぬ直前までずっと一人で会社を経営してきた。
仕事でもプライベートでも厳しかったこじじは依然として恐れられる存在でありつつも、周囲から厚い信頼を得て、常に人から頼られる存在だった。
そして誰からも愛されていた。
そんなこじじは若い時に一度結婚をし、子宝に恵まれるも離婚を経験。
しばらくして、再婚した。
こじじのことをとてもよく理解し、尊重してくれる素敵な方と一緒に仲睦まじく、新潟で幸せそうに暮らしていた。
一方で私は新卒で勤めた某自動車会社を辞め、ブライダル&ジュエリー業界で働いていた頃。
人間関係のストレスに悩まされていた私は、やる気どころか当初のブライダルへの情熱もほぼなくなっていた。
”想いをカタチにする”
そんなコンセプトに惹かれて入社したブライダル業界。
情熱を注げられるブライダルのみに専念できればよかったものの、会社の半分以上の売り上げを占める宝飾・時計部門での目標値や評価も当然あり、周りはそれに敏感な人たちばかりだった。
表と裏で態度が違う、そんなギクシャクした人間関係の中にいるのが日に日にしんどくなっていった。
会社へ行くのが苦痛、会社にいるのも苦痛、そんな日々が続いていた。
しばらくして、会社に行けなくなってしまった。
”こんな狭い世界で生きていくのはもう嫌だ”
当時はまだ地元の青森を出たことがなかった私。
自分の生きている世界がちっぽけで、そんなちっぽけな世界で生きている自分もちっぽけに見えて、何もかもが嫌になっていた。
その頃、頻繁に連絡を取るようになっていたこじじ。
仕事を辞める時も、
「もうしんどくなった。」
とだけ言う私に一切何も聞かず、何も言わず、
「飯は食えてるのか?新潟に遊びにおいで。美味いもんたくさん食わせてやるから。」
とだけ言うこじじ。
奥さんもいつもあたたかい言葉をくれた。
血の繋がりはなくても、まるで自分の孫のように可愛がってくれていた。
会社を辞め、数日後に私は新潟へ飛んだ。
気力のない私にたくさん心遣いをしてくれたこじじと奥さん。
数日間、のんびりさせてもらったおかげで私は徐々に元気を取り戻していった。
でもしばらくはまだ、何かをしようという気にはなれない。
そんな中、毎日テキパキと自分の会社の仕事をこなすこじじ。
当時で70歳を過ぎていたにもかかわらず、現役そのもの。
鳴り止まない仕事の電話に対応しながらも私をいろいろなところへ連れていってくれた。
そして家に帰ってからも休むことなく家事を率先してやるこじじ。
当時の私にはそんなこじじがスーパーマンに見えた。
そんな姿を見て尊敬の言葉を伝える私にこじじはこう言った。
「何も特別なことなんてしてない。できることをしているだけ。お互いができる時にできることをすればいいんだ。」
こじじはいつも本質を突いてくる人だった。
頭の回転も速く、常に人の本質を見抜いていた。
何か言おうとする度にすべて見透かされているようで、その先を突いて言葉を重ねてくるこじじに何かを発言するのが怖かった。
当時はまだ、ジャッジされること、否定されることを極端に恐れる自分がいたから。そんなこじじとの会話はいつも緊張した。
そんな私にこじじはこう言った。
「菜々は自分の思ったことを口にできる。それがいいところだ。」
「いいか。思ったことはちゃんと言うんだ。言わないと損をする。自分を表現しなさい。」
このときの私はピンときていなかった。
こじじが意図していたこの言葉の意味を。
数日後、お別れの日がやってきた。
まだ何かをしようという気力もなければ熱意も湧かなかった私は
”誰もいないところで、自然の奥地に引きこもりたい”
ぼんやりと、そんな思いが浮かんでいた。
そしてふと、頭に浮かんだリゾートバイト。
ーこれだ。
学生の頃にやってみたいと思いつつできなかったことのうちの一つ、これを今やろう。
ー人生一度きり。
やりたいことをやる。
心に決めたら行動が早い私はすぐさま派遣会社に登録。
テレビで見ていて美味しそうな食べ物がたくさんあるからと、ずっと興味を抱いていた福岡。
そこを目指して日本を一周しよう。南下しよう。
そう心に決めた私は気が付くとすでに群馬県にいた。
登録から一週間足らずだった。
群馬の奥地、中之条。
四万温泉というところだ。
あの、千と千尋の神隠しのモデルとなった旅館があると言われているところ。
なかなかの秘境で知る人ぞ知る、そんな温泉街だった。
独身の若い女性が一人でそこへリゾートバイトをしに来るなんてなかなか珍しかったようで、「何かから追われてきたの?」「何かまずいことでもしたの?」なんてよく聞かれていた。
毎回そんな質問に答えるのも正直疲れていたけれど、知っている人が多い地元で暮らすよりはずっと気持ちが楽だった。
群馬へ移動してからも、私を気にかけこまめに連絡をくれるこじじ。
奥さんもいつもあたたかいメッセージをくれた。
まるで自分の孫のように可愛がってくれていた。
「元気か?飯食ってるか?体大丈夫か?」
脚が悪くなり、歩きづらそうにしていたこじじ。
自分の方が大変なはずなのに、いつも自分のことよりも私のことを気遣ってくれていた。
そして1ヶ月間の群馬での仕事にもかかわらず、私が働く旅館にも遊びに来てくれた。
「お前が元気でやってる姿を見に行くよ。一番いい部屋とってやるからお前も一緒に泊まりな。」
中学校の頃もそうだった。
吹奏楽部時代のコンクール。
山形で行われた東北大会に出場の日、結果がどうなるかもわからないのに新潟から大きな花束を持って駆けつけてくれたこじじ。
大勢の同級生や先輩・後輩たち、他校の生徒がいる前で堂々と「おめでとう。」と花束を渡してくれたこじじに、”恥ずかしい”という理由でそっけない態度を取ってしまった私。
私のその態度に、こじじは怒ってしまった。
私に直接言うことはなかったが、後に母親から聞かされた。
それ以来、こじじと私は連絡を取ることも会うこともなくなっていった。
あの時もこじじは、こじじにとってのベストな形で愛を表現してくれていた。今回も、同じ。
「お前に花を持たせてやりたいんだ。」
いつもそうやって私を応援してくれていたこじじ。
そんなこじじの愛の形にすら気付かず、自分が人にどう思われるかどうか、自分の外側にばかり注意を向け、素直に喜ぶことをせず、受け取ることすら拒否してしまったあの頃の自分を悔やんだ。
自分が望む形でしか愛を受け取らない、受け取れなかったそんなちっぽけな自分を悔やんだ。
こじじはこじじなりの愛の表現をしてくれていた。
あの時も、そして今も変わらず。
それから何年の月日が流れただろう。
しばらくして、久々に連絡を取り合うようになったタイミングがおそらくこの、仕事を辞めると決めたタイミングだった。
あのコンクールの日以来、何の音沙汰もなかったにもかかわらず、何事もなかったかのようにあたたかく受け入れ、優しく接してくれたこじじ。
新潟で一緒に過ごした数日間は、私にとって忘れられない思い出となった。
今でも鮮明に覚えている。
私にしてくれたこと、かけてくれた言葉。
「自分を表現しなさい。
そして自分にできることをやる。
それだけだ。」
その後も南を目指して三重、島根と移り住む私をこじじは常に気にかけてくれていた。
「今どこだ?新潟の米は美味いから送ってやるよ」
と連絡してきては、私の所在と安否確認をしてくれていた。
「とにかくちゃんと食べてよく寝ろよ。
体に気をつけろよ。」
このぶっきらぼうな言葉がいつもあたたかかった。
こじじからの愛を深く、感じていた。
そんなこじじからの愛を受けとりつつ、リゾートバイトでの様々な経験を乗り越えた。
大人になってからのいじめ、嫌がらせ、泥沼の人間関係。
本当に色々なことがあった。
こじじからのあの言葉がなければ、頑張れなかった。
乗り越えることができなかった。
心からそう思うことがたくさんあった。
常に頭に浮かぶあの言葉。
”自分にできることをする”
この言葉を胸に刻み、とにかく毎日がむしゃらに生きた。
5ヶ月間のリゾートバイトを終え、無事にゴールとしていた福岡へたどり着いた私はそこでようやく安定した生活を手にした。
”福岡に住む”
そう決めて飛び出した地元、青森。
そして飛び込んだ初のリゾートバイト。
本当にたくさんの経験をさせてもらった。
誰も知らないところで自然に癒されるつもりで飛び込んだにもかかわらず、人生で初めてのいじめを経験。
一度も孤独というものを感じたことがなかった私が生まれて初めて孤独を経験。
つらくて投げ出したくなった時も、心が病みそうになった時も、いつもそばにいて支えてくれたこじじ。
近くにいなくても、常に安心を感じさせてくれた心強い存在。
人生にとって大切なことを教えてくれた。
こじじの生き様から、たくさんのことを学んだ。
そんな尊敬してやまない大好きなこじじが亡くなってから3年ほど経った今、急にふと、心に浮かんだあの言葉。
「自分を表現しなさい。
自分にできることをしなさい。」
今の私にとてもよく響いた。
その言葉の意味も、今ならわかる。
どんな時も自分を信じて歩み続け、自分の人生を切り開いてきたこじじだからこその言葉。
当時のすべての記憶が蘇った。
ー今の私を見て、こじじは何と言うだろう・・・
こじじに会いたくてたまらなくなった。
あのぶっきらぼうな愛が恋しくて、でももう会えなくて、寂しさと恋しさで涙が溢れ出た。
厳しさの裏にはいつも愛があり、
強い信念と深い愛情を持ったこじじ。
ー生きていたらまた、あの時のように私を応援してくれていたかな。
力強い言葉で私を支えてくれていたかな。
そんなことが頭をよぎり、余計に涙が止まらなくなった。
でも、大丈夫。
こじじの言葉が身に沁みてわかる今、私は進んでいける。
自分を信じ、表現することを恐れずに。
自分にできることをする。
きっと私たちは、”自分を表現する”ためにこの世に生まれてきたのだと思う。
その表現方法は様々で、十人いれば十人違う。
文章や絵、歌を通して伝えることでも、何かを創り出すことでも、誰かを助けることでも、なんでもいい。
自分という存在をどんな形でも表現すること。
自分をありのままに表現することがきっと心の喜びだから。
だからこそ答えは外側にない。
いつだって自分の内側にある。
誰かになろうとしなくていい。
何者かになろうとしなくていい。
外側に合わせようとしなくていい。
何かにハマろうとしなくていい。
私たちはありのままで素晴らしいのだから。
自分の内側にすでにある。
それを見つけて、活かすだけ。
自分を変えるのではなく、自分をどう活かすか。
そのために、自分を知る必要がある。
そして自分の内側に集中すると見えてくる。
自分の使命。
自分の心は命。
そんな大切な自分の心が喜ぶこと、
それが自分の使命に繋がっていると。
あなたの使命は何ですか?
愛と感謝
With love and gratitude
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"心身ともに健やかで、
自分の心に正直に生きる人生を歩みませんか?"
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