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60歳からの生き方(四流という選択肢)
■何か残さなければいけないという強迫観念
「金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上。」
と言う言葉がある。
一流、二流、三流を表す言葉だ。
何かを残すことが生きている証だという事なのだろうし、何を残すかをどう考えるかで、その人の格が決まるのかもしれない。
こうした思いは、何も残せなかった身としては焦燥感をもたらすのかもしれない。
役職定年を迎える日、定年を迎える日には「今までと同じ仕事ができるのに、なぜ退場させられるのか」という思いは、そこに帰因するかもしれない。
「まだ、何も残せていない」
■様々な選択肢
巷間に出回る、60歳、70歳、80歳を節目とした人生訓のような書籍も、言ってしまえば、今までと同じかそれ以上の人生を描くための処方箋のような気がする。
年齢とともに多くのモノを失う。失うのがいやであれば準備をするしかない。
しかしとも思う。
何も残せない「四流」という選択肢でも良いではないか。
自分自身の価値観にもとづいて、気ままに生きて良いと思えば、こうしなければならないという呪縛からは解き放される。
様々な選択肢があるのだから好きに生きれば良い。
<閑話休題>