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【元統一教会信者が語る!】依存症と献金する金額って関係ある?(宗教と依存症 vol.3)
前回は、宗教の献金についてお話しました。
今回はそれを基に、献金する金額と信者本人が抱える依存症について、ボク個人的な体験により関連性があると思われるので、お話していきます。
興味ある方は、この後をお読みください!
依存症の人が献金をする時のマインド
献金は「自分の一部を切り売りして神様に捧げる(貢ぐ)行為」だと、前回の記事で書きました。
宗教に救いを求める人のマインドは、心に穴が空いており、喪失感や否定感、絶望感などがあったりします。
ボクの場合は特に自己否定感が強かったです。
自分は取るに足らない存在、ちっぽけな存在、無価値な存在である…
こんなどうしようもない私を神様は許してくれる、救ってくれる
だから神様に尽くしたい、神様のためにお金を捧げて役に立ちたい
献金をすることで、こんな自分でも神様のお役に立てている、という実感から自己肯定感が得られたり、自分は神様に選ばれた特別な人間なのだ、という気持ちになります。
結構淡々と書いていますが、ほんとうはかなり精神的な充足感や高揚感があり、一種の快楽状態を伴います。
天にも昇る心地とはこのような状態を言うのでしょう。
宗教と依存症の関係性
この天にも昇る心地ですが、何かと似ていると思いませんか?
そうです、依存症です。
ギャンブルに勝った時の高揚感、クスリをやってハイになっている時、ゲームの世界にどっぷりと使っている時、SEXの快楽に浸っている時、金額を気にせず洋服を買い漁っている時、、
一瞬でも、一時でも、ダメな自分を、辛い現実を忘れることができる行為、それが依存症の人にとっての献金です。
しかも金額が大きければ大きいほど、ハードルは上がります。
自分の身を切り売りすればするほど、高い目標(ハードル)をクリアできてこそ、充足感や高揚感は大きくなります。
依存症を抱えた人が献金をした時の心理状態はこうであり、『神様の存在なしでは生きていけない状態』になります。
ボクはそうでした。
誰にだってできる事じゃない
神さま(超常的な意識)とつながっている
自分は特別な存在だ
神さまに祝福されている自分は価値ある人間だ
心の問題を抱える人にとって、献金とは無価値な自分を必要とし、承認する行為となる。
生きていることを実感できる。
簡単に得られるものではない。
手に入る時と入らない時がある。
入った時は天にも昇るような心地を味わう。
また、手に入れたくなる。
徐々に金額が大きくなっていく。
まさに依存症と同じような傾向です。
なので、、、
宗教団体という組織を解散させても、本質的な解決にはなりません。
強制改宗させても解決しません(信者の生きていく支えを半強制的に取り上げる愚行です)。
裁判をして、過去の献金を取り返しても解決しません。
本当の問題は『依存症を抱えた信者のマインド』だとボクは考えます。
心の闇と向き合わう必要があります。