【よだかの片想い】
自分を愛するのは、人を愛するよりも難しい。
【あらすじ】
自分と距離を置くアイコ。まっすぐ心に入ってくる飛坂。
近づくほどに苦しくて、遠のくほどに愛おしい――。
理系大学院生・前田アイコ(松井玲奈)の顔の左側にはアザがある。幼い頃、そのアザをからかわれたことで恋や遊びには消極的になっていた。しかし、「顔にアザや怪我を負った人」をテーマにしたルポ本の取材を受けてから状況は一変。本の映画化の話が進み、監督の飛坂逢太(中島歩)と出会う。初めは映画化を断っていたアイコだったが、次第に彼の人柄に惹かれ、不器用に距離を縮めていく。しかし、飛坂の元恋人の存在、そして飛坂は映画化の実現のために自分に近づいたという懐疑心が、アイコの「恋」と「人生」を大きく変えていくことになる・・・。
私は不細工だ、と思う。
目は小さくて睫毛が短い、元々は一重だったのを、化粧であれやこれやしているうちにやっと二重になった(とはいえ、泣いたり寝すぎるとすぐに一重に戻る)
鼻は団子っぱなで潰れていて、口は不愛想に曲がっている。肌質としてはニキビができにくい肌質で、ニキビ跡はないものの、黒子も多いし頬のあたりが赤いのが気に入らない。
というかそもそも、勿論自分の生活習慣の問題もあるけれど、デブだしそれに関してどう、ということもなくなってしまった。もうこれでいいや、と思ってしまう、自分の心が一番醜い。
…という、自分にもコンプレックスもあって、それこそ見た目に関しても問題があったりするわけで。
でも、私にはアイコのように顔にアザがあるわけではない。不細工ではあったとしても、他の人と大きく違うような「何か」があるわけではない。
それでもこんなに苦しくて、時々、鏡を見て泣いてしまう日もある。私ですらそんな日があるのに、アイコのアザは、どれだけの注目を集めて、彼女の心に居座っていたのだろう。
そういいながら、でも、作品に関して、わたしは「何ら普通の恋愛映画だ」という感想だった。
コンプレックスを持った女性が、偶然のような必然のような出会いを経て、一人の男性と恋に落ちる。
相手の心の内が見えずに葛藤して、自分のコンプレックスに悩んで、周りの人間に嫉妬して。
最終的に自分で自分を愛する道を見つける、普通の恋愛映画。
恋をして、醜い自分の気持ち(嫉妬)に気づいて、不安になって、もっと綺麗になりたいと願って、その中で気づく自分の変化の中で、そのままの自分を愛する道を見つける物語。
時々、見た目に関しての描写が多い映画や、ルッキズムの問題に関する記事をよく読む。
その度に、これは、本当に一部の方からしたら不快であろうこと、そしてそれは自分が「何もない」というベースがあることを十分に理解しながら、それでもコンプレックスがあるからこそなのだけれど、
人間の大半は、みんな何かしら自分の容姿を嫌って、生きていると思う。それは、大きなアザがなくても、だ。
分かりやすく目立ってしまうアイコのようなアザや、先輩が追った火傷の跡が、どれだけつらいものなのかは想像に難くない。
難くはない、からこそ、私にだってそういうコンプレックスがあるのに、と思うのだ。
そのコンプレックスは、もっとわかりやすいコンプレックス(という表現がすごく不適切な気がする、が、他にいい言い方が思いつかない)の前では、「そんなこと」になってしまう。
それが毎回つらいのだ。
人を愛する、ということは難しい。自分以外の人間の、目に見えない愛情を信じるしかない。
許して、許されて、信じて、裏切られたような気持になって、それでも好きでい続けることが必要とされる。
でも、それ以上に私は、私を愛することが難しい。
どれだけ誰かが褒めてくれていても、親が可愛がってくれて育ててくれても、仕事が評価されても、恋人が抱き締めてくれても、私は私が大嫌いだ。
表現した難い、でも心にずっと張り付いているコンプレックスが、汚い自分が、ずっとずっと泣いている。
それを、こういった映画や作品を見るたびに「でも自分はまだましだ」と思うことも、素直にその主人公を尊敬することもできない。
羨ましいと思ってしまう私は、きっとよだかよりも醜い。
そんな自分の醜さを浮き彫りにしてくれる、そして、だからこそいつか自分を、誰かを、愛せるようになりたいと想える映画でした。
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