【うみべの女の子】

血生臭い、青春の香りがする。

【あらすじ】
海辺の田舎町に暮らす中学二年生の小梅(石川瑠華)は、憧れの三崎先輩(倉悠貴)に手酷いフラれ方をして自棄になり、同級生の磯辺(青木柚)を誘って衝動的に初体験を済ませる。なぜその相手が自分だったのかと問う磯辺に、「一年の時あたしに告ったじゃん」と、ことも無げに言い放つ小梅。気持ちはまだ変わっていないとあらためて告白する磯辺だったが、小梅にその気はなかった。

 しかし、その後も二人は体の関係を繰り返す。ただの友達には戻れない、恋人同士でもない。曖昧で奇妙なつき合いを続けるうちに、はじめは興味本位で「ただの気分転換」だったはずのセックスも、いつしかお互いにとって日々の生活の一部になっていった。

 いつものように磯辺の部屋で体を重ねたある日、磯辺のパソコンのデスクトップにビキニ姿の少女の写真を見つけた小梅は、嫉妬にも似た感情を覚えて勝手にそれを削除してしまう。自分からフッたはずの磯辺の気持ちを、いまさら試す小梅に、「生きてるだけで息が苦しいって奴らの気持ちなんてわかんねーだろ?」と詰め寄る磯辺。磯辺は実の兄を自殺で亡くしていた。

 磯辺の部屋にある大量の漫画やCD、下段の使われていない二段ベッド。それらはすべて兄が遺したものだった。ゲーム会社に勤める多忙な父親(村上淳)と、仕事で海外にいる母親は留守がちで、兄の死に罪悪感を抱える磯辺はその部屋で一人、生前の兄が使っていたSNSアカウントを引き継いで発信を続けていたのだ。

 一方、小梅に片思いしている幼馴染の鹿島(前田旺志郎)は、二人の仲を怪しんで磯辺を問い詰める。小梅との性的な関係をほのめかす磯辺に逆上した鹿島は、思わず拳を振り上げてしまう。そんな鹿島が小梅に向ける気持ちを知りつつ、小梅の親友の桂子(中田青渚)は、人知れず鹿島に思いを寄せていた。

 磯辺に拒絶されたやるせなさから、三崎先輩に拠りどころを求める小梅。性行為を強いられそうになり、傷ついて押しかけてきた小梅を、磯辺は「帰れ」と突き放す。親友だからこそ、家族だからこそ言えない焦りや苛立ちも、磯辺にならぶつけられる。それぞれにねじれた喪失を抱え、心の穴を埋めるように激しく交わる二人。「ねぇ磯辺、してもしても何かが足りない気がするのはなんでだと思う?」

 文化祭を前にして、会えないほど磯辺に執着していく小梅と、死んだ兄の幻影にとらわれていく磯辺。離れていく磯辺の心をつなぎとめようと小梅は手紙に思いをしたためる。しかしその頃、磯辺はポケットの中にスタンガンを握りしめ、夜道に足を踏み出していた……。



漫画を読んでいたことがあり、公開されると知って絶対に観に行こうと決めていた。
観終わったあと、どうしようもなく、誰かとキスがしたくなった。
キスをして、セックスをして、ああ、こんなもんか、と思った学生の頃に戻りたくなった。
わたしの初体験はあっけなくて、ロマンチックなこともなくて、人に話せるような、「初恋の人と…」なんて、そんな劇的なことはおきないまま終わってしまった。
それでも、もしかしたらこの映画を観た後にするセックスは、そのときの自分を上書きできるんじゃないか、なんて想ってしまったのだ。

人は弱いと想う。誰しも、根っこの部分が。
精神的な憧れや好意よりもはるかに、目の前にある素肌のほうが、ずっとずっと愛情を感じられてしまう気がする。
いつしかその肌の熱は誰かを想う好意と混じって、溶けて、結局なし崩しに「これが愛だ」なんて錯覚してしまうんだと想う。

私は、心の中に小梅を飼っている、と想う。
弱くて、滑稽で、ずる賢くて、自分勝手な小梅を、私はずっと、心の中に感じている。
だからこそ小梅の行動すべてが鬱陶しく見えてしまうんだ、所謂同族嫌悪のように。

私だけじゃない、心の中に小梅を飼っている女性を、私は何人も見てきた。
それこそ、学生時代は7割の女子が飼っていたような気がする(完全なる独断と偏見です)
誰かに愛されていたくて、特別でいたくて、見ていてほしくて、優越感に浸りたくて。
試すようなことをして、嬲るように人の愛情を感じようとする。
誰にも言えない秘密は自分の価値をあげてくれると信じていたし、好きでもない人とセックスをする、という背徳感は、きっと美味しい。
そこまでしなくても、きっと、たぶん、誰かは心の中で、そういう小梅を飼い慣らそうと必死な気がするのだ。私を含めて。

磯辺もまた、そうなんだと想う。
歪んで、歪み切って、拒絶して、誰かを傷つけて。泣き顔を見て初めて得られる求められている喜びは、私も知っている。
兄の自殺が、というのは大前提にあったとしても、それが磯辺の「特別」なんだと想う。
それを握りしめて、何かになることでしか、磯辺はどうしようもなかったのかな、なんて想ってしまうのだ。

この作品に、私は何も、感想という感想はない。
感動も、喜びも、悲しみも、怒りもない。
ただそこには「私」がいて、私の中にいる「小梅」がいて、ただ、鏡を見ているような、そんな映画だった。

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