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「懐かしさ」の正体と使い方

「懐かしさ」とはなんだろう。

上京して9年ほど経ったここ最近、「懐かしさ」について考えることが多くなった。このnoteでは、誰しもが感じる「懐かしさ」を紐解いていきたい。  

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私は年に一、二度の帰省のたび、小・中学校時代に片道40分かけて通学した道を、なぞるように歩いてみる習慣がある。  

当時小さい歩幅で40分かけて歩いた道は、今ではおよそ20分くらいで歩いてしまえる距離だ。あれから体は大きくなり、都会に住み慣れたせいか歩くのも速くなった。「大人になったなぁ」と道を歩きながら一歩一歩、月日の積み重なりを確かめていく。

道中の風景には、あの頃の私がそこら中にいる。  

なんでもないことで友達とゲラゲラ笑って帰ったあぜ道。  

土砂降りの雨の日、裸足でバシャバシャ踏み入った大きな水たまり(帰ると当然親に怒られた)。  

部活帰りに、禁止だった買い食いをしていた駄菓子屋(これも先生にバレて怒られた)。  

後ろの方で歩いている好きな女の子を意識して、わざと歩くスピードを遅くした曲がり角。  

初夏の田んぼの緑。灼熱のアスファルトと雑草たち。

部活でクタクタになった背中に照る夕日の朱色。

あれから町の風景は少し変わった。
だからこそ、変わらない空気がうれしい。

そこには確かに小さいころの私がいる。
記憶の中ではなく、風景とその匂いの中に。

そんなふうに、感じる「懐かしさ」とは、一体なんだろうか。

少しだけ調べたり、考えたりしてみた。

◼️「懐かしさ」って何?

広辞苑を引いてみると、「懐かしい」にはこう記載がある。

なつかし・い
【懐かしい】〔形〕
①側についていたい。親しみがもてる。
②心が惹かれるさまである。
③かわいい。いとしい。
④思い出されてしたわしい。

元々「恋しい」という意味であったが、過去の想起によって感じる肯定的な感情へと意味が変遷したため、①〜③のような意味の記載がある。普段使う言葉としてしっくりくるのは④だろう。

個人的には、「懐かしい」と感じる物事には以下のような要素を含んでいると思う。  

 ・習慣として行っていたこと、触れていたもの
 ・印象深いポジティブな体験や思い出
 ・現在との時間の乖離

「懐かしさ」に関連する言葉の中に「ノスタルジア」がある(日本語訳は郷愁の意)。ノスタルジアは、元は戦時中に極度にホームシックになる状態を指して使われた言葉であり、ギリシャ語の「nostos」(家へ帰る)と「algia」(苦痛)を繋げて作ったスイスの医師による造語であった。それが、後々 に故郷に対する郷愁、日本語で言う「懐かしい」の意味へと変遷していったという。

『ノスタルジアの社会学』の作者であ る F.Davisは、ノスタルジアの対象は「個人的に体験された肯定的感情に満ちた特別な過去」であるとし、また人はノスタルジア体験をすることによ って過去と現在を比較し、自身を肯定的に顧みるという。そうして過去の自分と現在の自分をつなぎとめアイデンティティの安定性を保持しているらしい。

上記と同じような「懐かしさ」と「アイデンティティ」の考え方を、私は2014年に「江戸東京たてもの園」で開催された「ジブリの立体建造物展」に行った際に見聞きしことがあった。

それは、展示にあたり建築家・藤森照信氏が寄せた、宮崎駿監督が描く作品の中にある「懐かしさ」についてのこんなメッセージだった。

宮崎駿さんの作品に総じて言えることですが、いつも何か「懐かしさ」を感じるものが出てきます。ではなぜそのような感情が湧くのでしょうか。(略)人間は毎日、無意識に、寝る前と起きた時に目に映るもので「変わっていない」ことを確認して、ときどき古いもの、周りの変わらないものを見ることで「自分が自分である」という確認の作業をしている、というのが僕の考えなんです。自分というものの時間的な連続性を、建物や風景で無意識に確認している。そしてアイデンティティ、つまり「自分が自分である」ということを確認できているから人間は生きていられるんです。だから僕らが宮崎さんの映画を観て「懐かしい」と感じるのは、そこに、自分たちのいる社会の連続性を感じてホッとするからなんだと思います。
引用:『ジブリの立体建造物展』


“時間の連続性を認識し、アイデンティティを保つことで生きていられる”

この一説に、共感せずにはいられなかった。

「懐かしさ」がなかったら、恐らく辛いだろうと思う。どこかで無意識に助けられていたのかもしれない。前ばかり向いて勇んでいるとやっぱり大変だ。

では、そんな「懐かしさ」を、私たちはどう捉え、どう活用していけるだろうか。

◼️「懐かしさ」は、お守りになる

タイムカプセルは、「懐かしさ」をそのまま具現化したものだと思う。  

まさに「懐かしさのタネ」のごとく、学生時代に校庭に埋めたタイムカプセルは、決してその当時は価値がわかるものではないが、未来の自分への贈り物になる。  

たとえば今価値のないものが、時間が経つにつれて価値あるもの変化して行く場合が世の中には大いに存在する。築30年の物件は嫌われがちだが、築100年の物件といえば重要な文化財になる、というように。  

大げさなことではなくても、自分の日常の痕跡は10年後、20年後の自分のためのお守りになるのかもしれない。そしてその痕跡は、自分で育み守ることができる。

ブログを書いたり、日記をつけたり、勉強したり、思い切り羽目を外して遊んだり。それは全て「懐かしさ」のタネになるのだ。

そのことを意識してみると、今起きているあらゆることを少し肯定できる。今は未来に続いている。その連続性の存在が、いつか自分をきっと助けてくれるお守りのようなものになるのではないだろうか。

例えばこれから、仕事がうまくいかず落ち込んだとき、過去を振り返ることが、逃げ道になるかもしれない。じんわりと効く薬になるかもしれない。「そんなこともあったね」と言って、仲間と笑っていられるかもしれない。

つまるところ、以下のようなことを「知っておく」ことがちょっと人生を生きやすくなるコツになると思う。

 ・今を記録したり発信したりしてみると良い
 ・今の経験はいつかきっと「助け」や「薬」になる
 ・楽しいことは熟成されて良い思い出として残る
 ・辛かったことは長い目で見ればそんなに大したことじゃなくなる
 ・「懐かしさ」はいつか自分の資産になる

そう、「懐かしさ」の多い人生はきっと良い人生だ。  

無責任な物言いになってしまうかもしれないが、もし、現在進行系で困難なことに立ち向かっている人は心配しないでほしい。今震えているその足は、「懐かしさ」となって、きっと未来の自分を支えているのだから。

そう考えると、これからも「懐かしさ」と向き合う習慣はやめられそうにない。

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Twitter:@natsukilog

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森下夏樹
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