「年上なんだからしっかりしなきゃ」「年上に敬意を払わなきゃ」から解放されるべきだと思う
突然だが、私の両親は、「姉のことは『お姉ちゃん』と呼ぶべき(兄のことは『お兄ちゃんと呼ぶべき)」という人たちだ。
私にはひとり姉がいるのだが、こういう母に育てられたので、いまでも「お姉ちゃん」と呼んでいる。いまさら名前呼びにかえようと思っても、違和感がありまくりでなおせない。そして、幼いころから20代前半まで特に「お姉ちゃん呼び」に対して抵抗もなかった。
あれ?と思いはじめたのは、姉(現在三姉妹の母)に2人目の子どもが生まれたあとのこと。当時私は、まだペーペーの社会人だった。
2人目の子がおしゃべりできるようになると、上の子のことを名前で呼んだ。みんなが上の子のことを名前で呼んでいたのだから当然である。
しかし、私の母(2人の子にとっては祖母)は姉を叱った。「お姉ちゃんと呼ばせなさい」と。それ以来、「親が呼ぶと真似するから」と上の子は家庭のなかでほとんど名前で呼ばれることはなくなり、「お姉ちゃん」になった。ひとり目の姪っ子にもとても素敵な名前があるのにな……と、なんだか残念な気持ちになった。
ちなみに、私は姪っ子を溺愛している。
姪っ子と遊びたくて、Nintendo Wiiゲーム本体+ソフトで初任給のうち5万円くらいつぎ込んだほどには溺愛している(結局あまり自分では使わなかった)。
それぞれ固有の名前があって、その人はその人でしかない。年齢や生まれ順にかかわらず、その人の名前で呼べばいいのに。なんか、「お姉ちゃん」ってむしろ変じゃない?と思い始めた。
自分の子どもに出生順を意識してほしくない
年月がたち、私も2人の子どもを産んだ。上が女の子で下が男の子。
下の子が言葉を覚えるようになると、やはり上の子を名前で呼んだ。私の母は、かつてと同じように「『お姉ちゃん』と呼ばせなさい」といった。さらに、私の夫もそうすべきでは、と言った。
要は、年上を敬うべきという思想からきている。
が、嫌だったので拒否した。
「私はお姉ちゃんと呼ばせない主義なのです」
「この子には素敵な名前があるし、弟が名前で呼ぶことは少しも悪いと思わないのです」
「この子はただ先に産まれただけで、姉になりたかったわけではないのです」
「お姉ちゃんと呼ばせるメリットってなんなんだっけ?それ本当にいいことなんだっけ。全然納得いかないのですが」
などとぐだぐた反論してつっぱねていたら、そのうちに何も言われなくなった。私のことが面倒になったのだろう。よくある流れである。おそらく母は陰でいろいろと私のことを姉や周囲に愚痴っているが、気にしない。
先日、12歳になった娘に、「あえてお姉ちゃんと呼ばせないようにしたんだよね」「姉だと意識してほしくないんだよね」と伝えてみたところ
・私も「お姉ちゃん」と呼ばれたくない
・姉だと意識したことはない
といっていたので、いまのところ「お姉ちゃんなんだから〇〇しなきゃ」とは思わずに済んでいるようだ。
年齢を意識していると、生きづらい
呼び名だけではなく、娘には弟に何かで負けても、「年上なのに」「お姉ちゃんなのに」と思わなくてよいと伝えている。
人には得意不得意があるし、特性がある。娘も息子も、どちらも素敵な人間だ。私も母親だが、娘や息子に負けるなと思うところがたくさんある。それでいいではないか。だって違う人間なんだもの。
特に、社会に出たら年齢を意識すると負けたときに無駄に追い込まれると思っている。なので、「〇年生なんだから」とか、「年上なんだから」とかいう考え方も苦手だ。
実は、私も仕事において、年齢をあまり意識せずになるまでにはかなり苦しんだ。
大学生までは年齢をかなり意識していたし、「後輩に負けたくない」「負けちゃいけない」という意識がめちゃめちゃあった。そのために努力もした。努力自体はよかったのだが、年齢による無駄なプライドがあったのだ。
そして、努力すれば、割と年下には勝てると思い込んでいた。本当は昔から年下の優秀な人なんてめちゃめちゃいたけれど、目を背けていたし、ある程度直視せずに済んだのだ。
でも、社会に出たらごまかせなくなってきた。新卒でリクルートという会社に入ったのだが、実力主義だ。それを理解したうえで入社したつもりだったしそこが良いと思って志望したのだが、本当に圧倒的に実力主義なのだ。
一緒に入った同期やあとから入った後輩のなかにめちゃめちゃ優秀な人がいて、次々と表彰されて、背中がみえないくらい先に行ってしまう。自分には全く思いつかないようなことを思いついて、即座に実行する。自分は休日寝ているしかないくらい精神的に疲れているのに、その間もアグレッシブに学び、遊び、異業界の人とも交流する。そして、起業して速攻会社から出て行って、めちゃめちゃ活躍したりする。まわりも、素直に褒めたたえている。
私ももちろん表面上は素直にほめるのだが、心のなかはボロボロだ。
世の中には、「圧倒的にかなわない人」がいる。その人たちの努力の過程もある程度見えるので、確かにそこまで努力していればできるだろうな、とも思う。でも、私はそこまで頑張れない。疲労困憊でこれ以上努力できない。もう、全然かなわないのだ。
悔しくてたまらない時期がつづいたが、しばらく経つともう、認めざるを得ないと思うところに来られた。「年齢じゃない」と。彼、彼女たちのことを、尊敬せざるを得ない。
だとすれば、私も色眼鏡をかけずに積極的に交流して、学べるところは年齢・性別・国籍などなどにかかわらず学び、「いいね!」と言えちゃったほうがダントツ生きやすい。
無駄なプライドは捨てて、素直に付き合っていったほうが、幸せだ、と遠回りしてから気づいた。そう思えたのは、28歳くらいのときだった。
※現在37歳
純粋に仕事に向き合っていたほうが幸せ
今、私は会社員をしているが、フリーランス時代、年下の方にお仕事をいただくことも多かったし、ありがたいことに副業で今もお仕事をいただいている。
やっぱりベンチャー企業は若い人が多いので、20代や30代前半の経営者やマネージャーがわんさかいる。年齢なんか意識していられない。年齢にかかわらずやっぱり「すごいなぁ」と思う要素が多く、学べるので接していて楽しい。
編集・ライティングなどの仕事をしていると、自分の企画や原稿をめちゃくちゃ添削されたりするわけだ。そこで無駄に「年下のくせに…!」なんて年齢なんか意識していると、仕事の邪魔になるだけ。無駄なプライドもっていて、それがにじみ出ちゃうやつに仕事頼みたくないだろう。フリーランスですごく成功している人(私が接することが多かったのは編集・ライターさん)は、かなり低姿勢な人が多いと思う。
一方、大企業では、全てではないが年功序列意識が強いケースもある。
私はいま、会社のなかでは、小チームをまとめる立場にある。このチーム内に年上も年下も同い年もいるが、私も向こうもあまり年齢は意識していないので、やりやすい。年齢・職位にかかわらず「ここまでは自分で調べてみたのですが、どうしてもわからないので教えてください」「私もできるようになりたいので、やっているところをみせてください」などと頼みあう。これはおそらくラッキーなケースだ。
周囲のチームや管理職レベルの人たちのなかには、すごく自分の年齢と職位を気にしているような言動がみられることもある。特に管理職は、年下部下に反抗されることをすごく恐れているようだ。
今の部署は忙しく人の入れ替わりが激しい。人員も急速に減った。上司の大部分は、部下の業務内容を理解していない。
「俺はわからないけれど、おまえらがやればいいんだ」「管理職になるためのストレッチ業務としていままで管理職がやっていたことをやれ」みたいなこと(意訳)を言ってきたりする。普通に、「それは違うんじゃないですか」と言い返すと、結構困っている(反論され慣れていないらしい)。結局おなじことを繰り返し言いつづけ、何も議論が進まない。
「管理職は大変なんだ」「管理職になるのはすごいんだ」という内容の発言も多く(自分で言うか)、そのプライドも邪魔しているのだろう。生きづらそうだし、まわりも普通に困って結構存在が邪魔になる。
邪魔だと思われ始めると、ちょっと部下から距離をとられるようになって、さらに焦って虚勢をはる、みたいな悪循環に陥っている。
こういうのは、幸せじゃない。
年齢だけじゃなく、学歴も性別も家族構成も生い立ちも、関係ない。単純に仕事に向き合っていたほうがやりやすいと思う。
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とっとと変なプライドはみんなで捨ててしまったほうがいい。「良い仕事をする」ことだけ考えたほうが生産的だ。私は年齢プライドを捨てるのに時間がかかってしまったし、世代的にさまざまなプライドを最後まで捨てられない人も多いだろう。
ぜひこれから社会に出る子どもたちにははじめから、無駄なしがらみにとらわれないで生きてほしい。
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