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祖父との思い出

昨年の秋口、久しぶりにお参りに見えた古くからのご信者のS氏と、先代住職(私の祖父にあたる)の話題となった。

「先代のご住職ね、あなたにとっておじいちゃんかな。そのご住職から頂いたお手紙は全部とってあるんですよ。」

このくらいはたまってるかなぁ、と指を広げて厚さを示す。その大事なものを慈しむ物言いに、思わず

「(その手紙)見せていただけますか?」

と訊ねた。S氏は快諾をして下さり、暮れの12月に持ってきて下さった。

大事そうに鞄から取り出し、しずしずと私の前に差し出す。赤い輪ゴムでまとめられた封筒の束である。先代住職が直筆で、S氏への宛名を書いている。懐かしい字だ。

「いくつで亡くなったんでしたっけ?」

「101です」

「あぁ、じゃあこの一番上の封筒は、頂いたころは100歳近かったんじゃないかなぁ、あなたのことが書いてあるんですよ。」

その言葉に、ドキッとした。



先代が101歳で亡くなったのは、2010年の1月15日のことだった。今年(2021年)で12回忌となる。私が僧侶になって少しした頃だ。
僧籍を得たばかりの当時の私について、なにか書くとすれば、何であろう?

「うちの孫もようやく僧侶の道の第一歩を踏み出しました」

とか?

「孫もようやく志を持って、誇らしいです」

とか?
じいちゃん厳しかったけど孫煩悩だったからなぁ。

などと頭によぎっていると、S氏は、

「ずいぶんとお小遣いを貰っていたんですね」

と笑う。



へ?何のことだ??



「孫にあげる小遣いを間違ってワタシんとこに送っちゃった、って書いてあるの。孫ってあなたのことでしょう。」


なんじゃそりゃ。

と思うも、確認ができない。


その封筒の束をS氏から預かったとたん、言いようもなく「この封筒の束はここで気軽に開けて読んでいいものではない」感覚に捕われていた。
何度開封を試みようとするも、やはり息が詰まって、手が動かない。

簡単に開けて読んでいいものではない、と身体が察知していた。


その一部始終をニコニコと見ていたS氏。その日も羽織に襟巻き、草履という、いかにも江戸の旦那という出で立ちである。

「うちにあっても箪笥の肥しになっちゃうだけだから。若住職が持っていたほうが良いですよ。けれど、くれぐれも住職(私の父)には言わないでおいて下さい。人との手紙のやりとりをよそ様に見せるなんて、品の良いものじゃあないですから。」

急いで今すぐ読まなくてもいい、読めるときに読んだらいい。お父さんには内緒ね。と念を押され、その日は帰路に着かれた。
いえ、大切なものですから、拝見したらお返しします、と私。コピーをとってお返ししよう、と内心。



そのまま、ひとつきが過ぎた。

年が明けて、月に一度、S氏がお参りに見える日となっていた。


けれど私はいっこうにその手紙の束を開封できずにいた。

なにか、読んだら「終わってしまう」感覚がずっとあって。

しかし今日は返却期限。ひとつき読めませんでした、って訳にもいかない。S氏にとっても大切な品を、下さるという言葉おいそれと鵜呑みにもできない。今日お返しするのがマナーだろう。

(けっきょくコピーも取れなかったな…一人暮らし・ご高齢のS氏が亡くなられたら、そのまま塵として処分される手紙だろう。ならば私の手元に持っておくべきか?否、やはりお返しするのが礼儀であろう。)

そう思いながら、意を決して「あなたのことが書いてあるんですよ」の一番上の封筒だけ、読んでみることにした。


封筒の口を開く。
よその家にずっとしまってあった匂いがする。
中に便箋が入っているのが見える。
エイッと指を入れ、紙に触れる。スッと引き出す。
三つ折になっている手紙を、丁寧にひらく。
3枚。下2枚は白紙だ。
あ、おじいちゃまの字だ。鉛筆だ。筆圧は弱く中心線もややズレてはいるが、その程度で、しっかりした字。
字面から、明治の薫りがする。
僧侶になったばかりの当時の私について、何を書いていたのだろう。

前畧
先便で申上げた如く老●が甚だひどく、恥しいことですが
先便の中に、寺に居る孫に渡す暮の金銭を同封してしまい、
大変失礼ですが、御返送お願い申上げます。
                      中島亨倫
●●●●様


力が抜けた。

なんじゃこりゃあ。

明治生まれの祖父と、昭和初期生まれのS氏が続けてきた、往復書簡。気楽なやりとり。その最後の手紙がこれかい。

「孫にあげる小遣いを間違ってワタシんとこに送っちゃった、って書いてあるの。孫ってあなたのことでしょう。」

って話は聞いてたけれど、本当に内容それだけじゃん。


「うちの孫もようやく僧侶の道の第一歩を踏み出しました」

よりも

「孫もようやく志を持って、誇らしいです」

よりも、大事に願われていたことが如実に伝わってきちゃって、じいいいいんと儚くなる。
しかも速達って。速達でコレ送るかよ。ははは。儚さ募る。




その日、結局S氏はお参りには来なかった。


なので、封筒の束はいまだ私の手元にある。
そして、あの一通を開封したのみで、他の手紙には相変わらず触れられないでいる。


来月までには目を通して、
できることならばコピーをしてお返ししたいと思うけれど。どうかなぁ。


<了>


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