映画レビュー:24年10月の16本
・アンダーグラウンド
(1995年/フランス、ドイツ、ハンガリー/エミール・クストリッツァ監督)
2h51m、すさまじい。。。2024年年間ベスト。風刺もユーモアも愛憎も反戦もすべて詰め込んで骨太なスペクタクルで仕上げる。予告編からはこのスケール感まったく想像してなかった。飽きずに観られる、というか、途中から時間の感覚が歪む。大傑作。
・Cloud クラウド
(2024年/日本/黒沢清監督)
銃口を人に向けるのはマジでよくない。ヒリヒリする。ポスターとはいえこちらに向けないでほしい。と感じるようになったのは、物騒な事件や出来事が遠い場所で起こっているのではなくて現実隣りあわせだと感じるようになったからか。物騒なのこわいよ
・ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
(2024年/アメリカ/トッド・フィリップス監督)
前作からのハシゴを外された、とも言えるし、前作の火消しに流れた、とも言える。どちらにせよ楽しみに待っていただけに、ブレーキかけまくる内容は期待はずれです。「本当のあなたが見たい」とメイクを施される辛さ。レディー・ガガは歌うとレディー・ガガになっちゃって中途半端だし、ジョーカーにはハーレイ・クインなの、忘れてたよ、ガガがハーレイ・クインか!興醒め。
・あんのこと
(2024年/日本/入江悠監督)
ごく身近にある底辺のはなし。黒沢清観てからだと、日常のホラー描写がもったいないカット多数。監督の視点って、画作りに出るよね。
・阿賀に生きる
(1992年/日本/佐藤真監督)
申し訳ないけれど退屈で寝たし、途中退出。残したいドキュメンタリーだとしても、観るのツラきゃ、キツイ。
・西湖畔に生きる
(2023年/中国/グー・シャオガン監督)
「弱みは、自分ではなく、他者とのかかわりの中に見出される」「サギだと気付いてても、でもはじめて肯定してもらえた仲間なのよ。ようやく見つけた生きる道なの」「近親者を踏み台にしてきているんだから、後にはひけない」などなど、サギの心理が巧みに表現されたかと思えば、中国4000年の歴史の聖性も対比で映し、その聖俗の描き方が美しい。美しすぎて広告っぽくて笑っちゃうほどに。
・エターナル・サンシャイン
(2004年/アメリカ/ミシェル・ゴンドリー監督)
ミシェル・ゴンドリー全く合わない。なんでこれが傑作扱いなんすかね?
・サウンド・オブ・フリーダム
(2023年/アメリカ/アレハンドロ・モンテベルデ監督)
児童人身売買を捜査するパパが主人公で、作品の内容は啓発的だし、これを多くの人が観ることはすばらしい事だと思う、ので、余計に、エンドロールにQRコードが出て「みなさんスマホをかざしてこのQRコードを読み込んでください。金銭的な理由でこの作品を観られない人のために、肩代わりで先払いする仕組みを作りました。寄付をください。」とやる手口の嫌気が際立つ。
・うつわー食器の文化
(1984年/日本/姫田忠義監督)
宮本常一監修!関心事に沿って各地を取材していて、たまげる。主題を決めてから各地を巡るのか、いや、それだと非効率だから、行った先々でとりあえず全部カメラを回して、あとで文脈にあわせて編集していくつもの作品として量産するのかな?記録しておこうというバイタリティがすごい。
・竹縄のさと
(1984年/日本/姫田忠義監督)
素材の奥深さを見る。日常生活に溶け込んだ匠の技。自分で作れって言われても作れないような調度品に身の回りを支えられているのが解ります。
・山人の丸木舟
(1984年/日本/姫田忠義監督)
姫田忠義特集@下高井戸シネマ、ありがたいっす。昨年のアテネ・フランセでの特集が良かったので再訪。定期的に観たい作品群です。
・ぜんまい小屋のくらし
(1984年/日本/姫田忠義監督)
4作品ぶっ続けで観てると、ナレーション過多で頭痛くなってくる。ナレーション(言葉)は誘導だから、しゃべりすぎは禁物ですな。それにしても姫田忠義、興味あることが多岐に及んでいて、すごいなぁ。こちとら興味ないことは全く気にもならないもんなぁ。
・風が吹くとき
(1986年/イギリス/ジェームズ・T・ムラカミ監督)
怖いんだけど、シリアスなんだけど、、日本語吹き替え版の声優・森繁久彌の声が眠気を誘いすぎる。。よくねた。
・太陽の少年
(1994年/中国・香港/チアン・ウェン監督)
なんでかとても印象に残るシーンがいっぱい。憧憬?
・幕間
(1924年/フランス/ルネ・クレール監督)
100年前の作品を、シュルレアリスム映画祭で鑑賞。そして昏睡。観客の年齢層が非常に高い。ダダ、シュルレアリスムが古典なのだと判る。90'sの伝説的なラッパーが来日しても若い客は誰も見に来てないみたいな。
・貝殻と僧侶
(1927年/フランス/ジェルメーヌ・デュラック監督)
演出も音楽も非常にミニマルすぎて爆睡。デカダンを引き継いだフランス映画の貴族的なつまらなさを煮詰めたようなク○作品。夢とイメージと現実のあわいは、こんな、眉間にシワ寄せてうろつく様なものではなくて、ほほえみをたたえながらラフに行き来すべきでしょう?寺山修司の実験映画を「これを観ることが勉強なんだ」と我慢しながら見ていた10代の頃を思い出したよ。つまらないものはつまらない。
<了>
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