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席替えの思い出

面白い夢を見た。小学生の頃の、席替えの夢だ。
クラスの中で席替えといえば、メインイベントの1つだった。

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あの頃、あんなにも毎日つるんでいたのに、中学を卒業した途端に疎遠になった、親友。彼が今、ぼくの通う小学校のクラスの担任として赴任してきた。ドバイから一時帰国したらしい。

彼は当時より輪をかけてシニカルになっていて、人生への諦めが浮かんでいる。口元には、世を嘲るような笑いがこびりついている。
「こんな奴じゃなかったのにな」という残念さと怒りがこみ上げてくる。夢の中のぼくは、コナン君よろしく、体は子供・頭脳は大人の、小学生である。

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「席替えをしよう。」

生徒のあいだで、そんな流れになった。
担任となった彼は、我々をなだめるように言う。

「しなくていいよ。頑張りたくないんだ。」

あまりにも不真面目な、なげやりな様子で。
それを見るや、ぼくは猛烈に怒りだす。

「頑張らなくていいから、本気でやれよ!!!!!!!」

ところが憤慨しても、のれんに腕押しだ。そこで皆をけしかけ始める。

「席替えしたい人ー!?」

やりたい!やりたい!やりたい!

方々から声があがって、にぎやかな生徒たちは席から立ち上がってきて、先生の周りを取り囲んでいる。ほうら、こんなにみんな席替えをしたがってるじゃないか。やろうやろう!

しかしそこで、ハッと気づく。

(、、もしかして席替えしたくない人もいるんじゃないか?)

「席替えしたい人」を訊いたならば、「席替えしたくない人」も訊くのがフェアだろ。

「席替えしたくない人ー?」

、、、おずおずと、胸の高さで小さく手を上げている生徒がいる。
「あちゃー空気読まなきゃダメだったかな~」そんな表情で、苦笑いしながら挙手してる生徒がいる。みんな自分の席に座って、意思表示をしている。(※先生の周りを包囲したりしていない。)
どこか遠慮がちながら、見回すと、4割ほどの生徒は席替えをしたくない様子だった。

さて、どうしようか?

6:4。ほぼ同数。

ぼく「じゃあさ、席替えしたい人としたくない人で、ペアになって座って。今から目の前の人が、なんで席替えしたいのか/したくないのか、その理由を聴いてみよう。
相手がしゃべってる時は、邪魔しちゃだめだよ。説得しようとしてもだめ。なんで席替えしたいのか/したくないのか、ただ、聴いてみるんだ。
お互いがそれぞれ話し終わったら、もう1度、1人1人よく考えてみよう。
自分は本当に席替えしたいか?それともしたくないか?って。」

ここまで皆に伝えて、内心、思う。

(ペアで話してみよう。なんて提案したけれど。でも、本当の理由なんて、おいそれと人に言えないかもしれないな。「好きな人と隣同士の今の席から離れたくない」とか。恥ずかしくて言えないだろう。だからなにか “もっともらしい言い分” を作り上げることになる。でもそれは『嘘をついた』って批難されるたぐいのものじゃあないんだよな。。)

(同様に、席替えしたい生徒の本当の理由も、人に言えないかもしれない。好きな人と隣同士になりたい、とか。恥ずかしくて言えないだろう。そんな時には、もっともらしいことを言うかもしれない。『隣の席のやつが嫌だ』とか。その場しのぎの苦し紛れのでまかせが、その隣の生徒を傷つけ、いじめの起爆発言になっていくかもしれない。でもこれも不本意なんだよな。。)

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対話をする、というのは、得てして難しい。
言葉がすべて本音とは限らない。
本心を隠す自由はあって、本音でないことを咎められたくもない。

恥ずかしくて言えないこと、倫理的に言えないこと、いっぱいある。
言ってはみたものの、「あコレ本心じゃないや」と自覚しながら、けれどその言葉が独り歩きしてしまう事だってある。

本音でそのまま本心が言えたらどんなにラクだろうかと思うことも多々だ。

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席替えの結果がどうなったのか、結末を迎えないまま、目が覚めてしまった。ただこの「小学生の頃、席替えはメインイベントだった」という懐かしむ感覚と、発言する/しないにまつわる感覚とが、しばらく胸の中に広がっていて、布団の中でまどろんでいた。
今日はどんな1日になるか考えるのは、その感覚に浸った後でもよかった。


<了>



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