【ペライチ小説】_『娘帰る』_27枚目
まったく。なぜにわたしはこうなんだろう。地下へと続く階段をくだりながら、反省で思考回路はショート寸前。そのことについては触れちゃダメだと、再三、自分に言い聞かせ続けていたにもかかわらず、なにがどうしてこうなったのか。わけがわからず死んでしまいたいほどだった。
このまますぐに逃げ出したかった。一方、ちゃんと謝ってもおきたかった。気づけば、最後の一段でぴたり足が止まって、踵を返し、階段を駆けのぼっていた。しかし、表に出てみるも、そこにおばあちゃんの姿はなかった。残念なような、ホッとしたような、アンビバレントな心境に胸は激しく高鳴った。
いまさら、電車に乗りたい気分なんかじゃ全然なかった。のんびり、早稲田通りを歩き始めた。学生時代、通い慣れた道のりではあるものの、こんな風に歩くのは久々だった。明治通りを越えると、いつになく、早稲田松竹の前が賑わっていた。かつて、フランスの古い映画を見るために通ったこともあったけど、いまはなにをやっているんだろう。興味本位で覗いてみたら、少女漫画が原作のラブコメを特集しているらしく、お客さんは制服姿の高校生ばかりだった。なんだか、自分とは縁のない場所になってしまったみたい。ほんのちょっとの寂しさが胸をかすめた。
しばらく来ない間に高田馬場は初めて来る街みたいに変貌していた。きりり、切なさに襲われた。馴染みの居酒屋は軒並み潰れて、チェーンの喫茶店が新たにいくつもできていた。どこも、分厚いパンケーキを売りにしていた。通い慣れたる本屋も唐揚げ屋さんになっていた。そんなはずはないのに、自分の記憶がボロボロ壊れていくようだった。
でも、駅に近づくにつれ、人通りは加速度的に増加し、大学生たちが無軌道に騒ぐ、懐かしい光景が復活し出した。思わず、ホッと吐息が漏れた。ロータリーではバンドが下手な演奏をしていた。知らない曲で知らない人たちが身体を揺らして盛り上がっていた。誰もがみんな、缶チューハイでご機嫌だった。いかにも早稲田らしい光景に安心しつつ、交差点をウキウキ渡った。
そのとき、カバンがブルブル震えた。嫌な予感がした。恐る恐るスマホの通知を確認したら、やはり、彼からのメッセージだった。
― いまから遊びに行っていいかなぁ?
最悪だった。よりによってこのタイミングか、と腹立たしかった。わたしは即座に「ごめん、明日までに作らなきゃいけない書類があるの」と、さっき使ったばかりの言い訳をリサイクルするため、指先を動かし始めたが、それより先に、
― とりあえず家で待ってる
― いつ帰ってくるの?
と、彼から新たなメッセージが二つも届いた。なるほど、ウザ過ぎるにも限度があった。こちらが返事をする前に平気で連投できる図々しさは言わずもがな、人の家に勝手に上がっていると思しきフレーズで、わたしの心は大いに乱れた。
たしかに合鍵を渡してはいた。ただ、それはどうしてもって頼んできたから渡しただけで、自由な出入りを認めたつもりは全然なかった。なんだか、もう、最高に忌々しかった。そして、そんな風にわたしが腹を立てている間もメッセージは次から次へと送られてきた。
― ファミチキ買ってきて
― いつ帰ってくんの?
― 冷蔵庫のほろよいもらうわ
― さけるチーズも
― まだ帰ってこないの?
― おーい
― 既読無視すんなー
それから、変な顔したパンダのスタンプが、いくつも、いくつも。