チェックリストの“遊び”<体験の哲学>
いきなりですが、家の近くに「この先は行き止まり」と書いてある看板が2か所あります。しかし、その看板に目をくれないのか(気がつかないのか)進入してくる人や車がとても多いのです。
この原因は何か?
この本には、その理由と考えられるべき点が記されています。
それは、
大人になり(年齢とともに)、日常の出来事の新鮮さが消えていくということです。では、1つ例をご紹介します。
1段階目:帰り道を歩いている時、すれ違う人や石ころ、落ち葉などが見える
2段階目:石ころや落ち葉など細かいものは目に入ってこない
3段階目:目に入るのは、空、壁、道という情報
4段階目:ぼんやりとした帰り道となる
ズバリ、道としての認識はあるのですが、まわりが見えていない状態になるのです。
この状態は、「身体は習慣通り日常生活を営んでいるが、内面的には何も感じていない人間」ということになるそうです。はっとした方は、私以外にもいるのではないでしょうか。
そこで著者は、「日常生活をしっかりと味わう生き方を身につける」ことを説きます。
加えて、近い将来において人間同士の知識のやリ取りはネットやAIで代替できるが、体験の交流は貴重で価値のあるものがゆえに増加すると考えられると言います。知識はネットで調べる時代、確かにそうかもしれません。しかし、友だちの恋バナを聞いてワクワクすることがなくならないのもしかりなのです。
そして、巻末には体験して深く味わおうという意図の「体験チェックリスト」があります。その中の“遊ぶ”の項目に「ホッピング」がありました。ホッピング、懐かしい!これは乗り物と言っていいのでしょうか?両足で乗ってポーンポーンと飛び跳ねるのです。なんてことない遊びですが、子どもの頃は飛び跳ねる動作が好きでよく遊んでいました。あっ、これが体験の交流になればいいなぁ。
(ホッピングのイラスト)
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