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今ここにある幸せ。

父が他界し、2回目のお盆がやってきました。
今年もお供えは父の好きな芋焼酎です。

2年前、春の気配を感じ始めた頃。
突然、離れて暮らす母から電話がありました。
いつも電話をする時間よりも少し早い時間で、嫌な予感で電話に出ると、父の体調が良くなく危ない状態で緊急入院したという連絡でした。

その3ヶ月前のお正月に一緒に楽しくおせちを食べていたので、信じられずにしばらくソファでボーッとしてしまいました。

ちょうどその頃はコロナ禍で入院中の父には会えないかもしれないと知りつつ、突然一人になった母も心配だったので、会社に事情を説明して数日休みを取り帰省しました。

その日の夜、母の隣に布団を敷いて部屋の明かりを落とすと、突然今まで感じたことのない恐怖感に襲われました。
眠りたいのに怖くて寝れない。チッカッチッカッチッカッ…いつもより時計の音や風の音が大きく聞こえる。

あぁ。もう眠れないのならとりあえず横になって起きていよう〜。と、開き直りこの恐怖感が何なのか観察してみることにしました。

父の入院は突然で、いつどうなってもおかしくない状態でした。
順番的に自分の両親が先にいなくなることは、頭では理解していたけれど、今まで意識もしないほど当たり前にそこにいた父という存在がなくなるのだと、その時に初めて実感しました。

家族みんながめちゃくちゃ仲がいい、というよりそれぞれ自立して生活している感じだった我が家は、一緒に何かしている訳ではないけれど、父のペタペタと歩く足音や、反抗期の兄がバタンと閉めるドアの音。キッチンで母が料理をしている匂い。家族が唯一揃う日曜日、サザエさんを見ながら食べる夕食など。

意識はしていなかったけれど、当たり前にここ(実家)にあった家族の気配を思い出しました。

兄もわたしも進学を機に家を出て、少しづつ気が付かないうちに変化していた家族の時間。父がいなくなることを頭ではなく実体験として感じたその時、当たり前だった日常の時間を自分がこんなにも愛おしく思っていたのだということに気がつきました。

そんな当たり前に自分の中にあった無意識の幸せがなくなる事。
そのことが怖くて、悲しくて仕方がなかったのです。


物心ついた頃から、なぜだか“何者かにならならなくてはならない”と思い、自己実現の為に生きてきました。特に20代はその事に必死で、都会での一人暮らしでやりたいことをしながら、生活を維持するのは簡単ではありませんでした。

それもあってか、自立して生活することにプライドみたいなものもありました。人の役に立ち、自分で稼いだお金で好きな服や生活道具や車などを買う。そういう物理的な豊かさを幸せと思っていた時期もありました。

けれど、夫に出会い結婚をして自然と誰かを思いやり生活をするようになり、なんとなく今までお金で手に入れていたものや体験で得るものとは違う幸せがある様に、漠然と感じていました。

それが、あの実家での夜に感じた出来事でくっきりしたのでした。

自分にとっての幸せは、平穏で昨日と同じような他愛のない毎日なのだと。
今日あったことを話しながら食べる夕食、お父さん汗くさい〜なんて言いながら笑い合う時間。母が料理をする横でこっそりするつまみ食いなど。

特別な日ではなく、毎日の小さな出来事。
それがわたしにとって大切な幸せのかけらだったことに気がつきました。

今思うと、わたしは働いてお金を稼ぐことや、自分の夢を追いかけているとき、もちろんその先の幸せ想像してを追いかけていたけれど、幸せは自分が思うよりもっと身近にあったのだということに気がつきました。

沢山のもの囲まれて何不自由のないことより、ただご飯をを食べて美味しいと思ったり、風が気持ち良いと感じたり、陽の光を浴びて伸び〜としたり、それが幸せ。たまにそれを共有できる友人や家族がいれば尚幸せです。

沢山を求めるとキリがないけれど、本当に大切なものだけあれば(ある事に気がつけば)それでいいのかもしれません。

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