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【JICA海外協力隊】#53 241120 106/730日目「恵まれた人間としての使命を果たす」
こんにちは。JICA海外協力隊 2024-1次隊のなべみです。
本日もなべみの記事にアクセスしていただきありがとうございます。
ここ最近急にお腹を下しているなべみです。
先輩隊員からよく聞く話の一つは「引越しした直後は絶対みんな何かしらの形で体調を崩す」ということ。
今回お腹を下して「ああ、先輩たちが言ってたのってこういうことか」と肌で実感しているなべみです。
原因は活動、生活を含めた日々のストレス、または食べ物に挑戦しすぎた、の二択かなと思っています。もしくはどっちも。
食材の管理って個人的にはまだ難しくて、特に野菜や食パンなどは、どこまでなら食べられるかな、といつも挑戦してしまいます。
もちろん傷んでいたりカビが生えていたりしたら食べません。
でも、もしかしたら自分で気づかないうちにもうダメになっている食べ物を食べちゃったのかもしれない。
実はお腹がとっても弱いなべみですが、マラウイに来てお腹を下したのは赴任から100日くらい経った今回が初めてです。我ながらすごい。ここ最近で一番の大記録かもしれない。
ここまでお腹を調子良く保つことができたのはある意味奇跡。
早く治るといいな。
さて今回は、今日ふと思った「恵まれた人間としての使命」について綴っていこうと思います。
今日も最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
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自分は恵まれている人間
私はマラウイに来て、自分が恵まれた人間であることをつくづく実感します。
これを読んでいる他の協力隊員の方も、きっと日々そう感じていることと思います。
仕事がある、生活に不自由しない程度の最低限のお金がある、住み心地の良い家がある、お腹いっぱいご飯が食べられる、海外協力隊員という立場でJICAが生活の全てをサポートしてくれる、日本にも帰る場所がある、マラウイにいても日本の家族や友人と連絡が取れる。
こうやって書き出してみると、自分がいかに恵まれた存在であるかを痛感します。
こんな恵まれた暮らしを送れているのは、間違いなく私の周囲にいるたくさんの方々の支えがあってこそ。
私はただ日本に生まれたというだけで、世界的に見ても大変豊かな暮らしを享受できているように感じます。
ただそんな実感があるからこそ、マラウイの方々との格差を感じたときの胸の痛みは特段大きいわけです。
もちろんこれはマラウイの方々が恵まれていない、と言いたいわけではありません。
ただ少なくとも「自分は恵まれた存在なんだ」ということを、日々の生活の中で感じずにはいられないわけです。
「恵まれた人間がそうでない人に何かを与えるのが当たり前」という考え方
以前の記事で、マラウイにあるこんな考え方を紹介しました。
マラウイでは「恵まれた人間がそうでない人に何かを与えるのが当たり前」という考え方があります。
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上記の記事をお読みいただいた方はもうご存知かと思いますが、最初なべみはこの考え方がそんなに好きではありませんでした。
この話を聞いて「なんて図々しい考え方なんだ」という批判的な意見を持っていました。
でもマラウイに住んで3ヶ月経った今は、違う考え方を持つようになりました。
どんな考え方かというと「私がマラウイの人々に比べて恵まれた立場だというのなら、じゃあ喜んで与えようじゃないか。私が持っているものを喜んで差し出そうじゃないか」ということ。
これは、物やお金など物質的なものをあげることではありません。
自分が持っているスキルや知識、内面的なものなどを駆使して、目の前にいる人たちが少しでも笑顔になるためのサポートをする、ということです。
これまでのマラウイでの生活を通して、なべみはマラウイの人々との格差を肌で直接感じてきました。
最初は「恵まれない人は助けてもらって当たり前」という考え方を毛嫌いしていたなべみですが、今ここに住んでいる人たちのことを深く考えたら、そういう考え方になるのも致し方ないな、と考えるようになりました。
もし自分がこの人たちと同じ立場だったなら、私も同じように「助けてもらって当たり前」という考えを持っていただろうと思います。
そして、考え方が変わった理由がもう一つ。
それは自分が今マラウイにいる意味を改めて考え直したから。
私はJICA海外協力隊としてこの世界最貧国に赴いている。
私はここにいる人たちを助けたい、支えたいと思ってここに来たんじゃないか。
今目の前にいる人たちを助けるために、私は今ここにいるんじゃないか。
目の前にいる人が「助けてもらって当たり前」という考えを持っているから何だ。
そういう考えを持っている人のことは助けないのか。少なくともなべみにとってそれは違うはず。
だったら助けるしかない。支えるしかない。目の前にいる人を少しでも笑顔にするしかない。
それが私の使命。
今自分が国際機関にいることの意味
そして、今なべみは某国際機関で活動をしています。
以前、なべみは国際機関を肯定的かつ批判的な視点から見た記事を書いています。
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恵まれた人間としての使命は何かをふと考えることがあります。
そこで行き着いたなべみの個人的結論の一つは、「国際機関で働く」ということ。
国際機関で働くことは、すなわち「恵まれない人々のために生きる」ということ。
国際機関で働く人たちは、ほぼ例外なく恵まれた立場にいる人たち。
そんな立場にいる人たちが、恵まれない人々を救うために働く。
それが恵まれた人間としての使命なのかもしれない。
しかも国際機関で取り組むプロジェクトは金銭的援助も多く、貧しい人々・地域・国に与えるインパクトが大きい。
そんな素晴らしい・恵まれた環境で、何かに苦しむどこかの誰かのために働くことができる。
国際機関は「目の前にいる人を助ける」使命を果たすには最高の環境なのかもしれない。
なべみはそう考えます。
あとがき
本日もお読みいただきありがとうございました。
今回は「恵まれた人間としての使命」について感じたことを書き殴って見ました。
今自分が置かれている環境、自分の立場。いろんなことを遠くから多面的に見て、いろんなことを考えています。
今日感じたことや考えたこと、この2年間で絶対に忘れたくない。
そう感じた今日この頃の心模様を書き綴りました。
てなわけで本日はここまで。
皆さんいつもなべみの記事をお読みいただきありがとうございます。
また明日お会いしましょ〜👋👋👋