【JICA海外協力隊】#15 240921「道端で偶然ニワトリの最期を見た話」
こんにちは。JICA海外協力隊 2024-1次隊のなべみです。
今は日曜日の昼。活動が始まってから初めての週末です。
休日のありがたみを感じながら今日を過ごしています。
なべみの職場は、金曜日の仕事が昼間で終わります。
普段はかっちりしたスーツやフォーマルなワンピースを着ているような職場ですが、金曜日はTシャツやポロシャツなどちょっと緩めの服装をしている人が多かった印象。
さらにいつもよりも同僚同士で談笑している時間が長かったり勤務時間中にお互いの写真を撮りあったりと、いつも以上に和気藹々とした雰囲気でした。
またこの日同期隊員とレストランにお昼ご飯を食べに行ったとき、昼間からビールを飲んで談笑している人たちを多く見かけました。
金曜日からお休みを楽しんでいるかのよう。
マラウイにいる人たちにとって金曜日はもうお休み気分なのかもしれませんね。
さて今回は、ニワトリの命が捌かれようとしている場面に遭遇した話を書こうと思います。
本日も最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
フードコートで捌かれる命
なべみの通勤途中の道沿いにはご飯が食べられるお店が集まった屋外フードコートのようなエリアがあります。
ここでは焼いたチキンを美味しく食べられるお店が多く立ち並んでいます。
それはある日の通勤途中の出来事でした。
ミニバスを降りて職場まで歩いていた時のこと。
「クク〜」と今まで聞いたことのないような音がどこからか聞こえてきました。
何かと思って辺りを見回したら、その音はニワトリの鳴き声だとわかりました。
2〜3匹ほどのニワトリが一箇所に集まって、今まで聞いたことがないようなか細い声で鳴き続けていました。
そのニワトリたちは今から人間から捌かれるところだったのです。
皆さんは「鶏の鳴き声」と言ったらどんなものを想像するでしょうか。
私だったら鶏の鳴き声の代表格とも言える「コケコッコー」を想像します。
マラウイでも朝になると鶏が「コケコッコー」と、あたかもテンプレかのように鳴き出します。
ですが殺される直前の鶏は、今までに聞いたことのないようなか細い声で鳴くことを私は初めて知りました。
「今から殺される」という恐怖が、私が聞いた鳴き声に全て現れていたように思います。
そして、私の職場近くの屋外フードコートで提供されるチキンは、生きた状態でフードコートに連れてこられ、その場で殺されたニワトリなのだと思いました。
命を頂く行為と隣り合わせの生活
屋外フードコートだけでなく、マラウイの屋外マーケットでは、鶏が生きた状態で売られています。
おそらく生きた鶏を買うお客さんがいるのでしょう。
小学生ほどの少年が生きた鶏を手に抱えながら歩いているのを見かけたこともあります。
普段生きた鶏を触ったり持ったりすることのないなべみから見たら、あの少年はたくましく見えました。
あの少年が持っていた鶏は家で捌かれたのでしょうか。
あの少年は鶏を捌くところを見たのでしょうか。
彼にとって鶏を捌く行為を見ることは当たり前のことなのでしょうか。
マラウイでは子供のうちからニワトリなどの命を捌く行為を見るのが普通なのかもしれないですね。
日本で鶏肉を買う時は、既に捌かれた肉がスーパーなどのお店に並んでいます。
マラウイでもスーパーに行けば、既に捌かれた状態の鶏肉がたくさん売っています。
鶏だけではありませんが、豚や牛などを肉の状態で見かけるのはごく普通のことかと思います。
ですが当たり前のようにスーパーに陳列されている肉にも、少し前までには生命が宿っていた。
人間が豊かな食生活を送ることができているのは、たくさんの生き物の命を頂いているから。
言葉にすれば当たり前のことですが、なべみはそんな当たり前のことをよく忘れている気がします。
命のありがたみ、命の尊さ、私のために命を失った生き物を思いながら、今日も目の前のご飯を頂こうと思います。
あとがき
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
なべみは今回の現場を見るまで、「命を頂く」という行為を真剣に考えてこなかったように思います。
今回はたまたま通勤の途中でニワトリの最後を見ることになりましたが、改めて命について考えるいい機会になりました。
この2年間マラウイにいるうちに、今回のニワトリのように、人間のために命を失う動物の最期に立ち会いたいと強く思いました。
それが人間として、命を頂く者としての責任だと思います。
いつもお読みいただきありがとうございます。
皆さんの応援がいつも励みになっています。
毎度拙い文章ばかりですが、これからも読んでいただけると嬉しいです。
ではまた次回あなたにお会いできることを願って。その時までさよなら〜👋👋👋
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