デジタルアーカイブは果たして人類の資産となるのか(恵比寿映像祭で気になった作品の感想と共に)
第14回恵比寿映像祭(2022年)で、心に留まった作品があった。
《三千年後への投写術》
暗室に入ると、iPadの大きさほどの石が6つ置いてあり、デスクライトのようなもので照らされている。石を見ようと近づくと、壁側を向いて置かれているのでよく見えない。そこでやっと壁に反射して映っている像に目が行き、合点。
その映像によーく目を凝らすと、マスクをして交差点を渡る人、”緊急事態宣言のため8月5日まで休業!"と書かれた張り紙などが映し出されている。
この石は、令和のしょっぱなに起きた新型コロナウイルスのパンデミックを後世に伝える道具になっているのだ。
なぜこのように原始的としか思えない方法で情報を伝達しようとしているか、そこに作者の明確な意図があるに違いないと思い解説を読んだところ、制作動機となった作者の問題意識に非常に共感したため心に留まった、というわけ。
※後日調べたところ、2022年のメディア芸術祭で新人賞を受賞されていた。
近年活発なデジタルアーカイブ活動
人類の歴史だったり文化資産だったりをデジタルデータとして残そうという活動はたくさん存在する。絵画、図書、建築、、最近は偉人までもを遺す(というか復活させる)プロジェクトもよく聞く。
余談だが、なかにはこういったデジタルデータを活用し、機械学習用データセットとしてわざわざお膳立てしたようなデータも存在する。下記の浮世絵データベースに対し作者のラベルや目や口の位置情報がアノテーションされたデータを学習すれば、たとえば五粽亭広貞が描いたような顔を生成することができ、位置情報を元に評価することができるようになる。
しかしこれらのデータもまた、閲覧・保持するには電力が必要なのだ。VRコンテンツなどの特殊なデータを閲覧するには適切なハードウェアを使用しないといけないため、ハードウェアのメンテナンスも必要になってくる。
このインターネット時代の文明、実は何も後世に残らなかったりして?
いまの私は、日々感じたことをこのnoteに書き留め、いけたお花をinstagramに投稿して生きている。でももしSNSがサービス終了してしまったら、それら私の生きた記録は全て消えてしまうだろう。
また、私の仕事はインターネットがないとなにもできないといっても過言ではない。仕事柄、AIに関する論文の勉強や実装方法の調査を日々行うのだが、その情報源はぜーんぶWebにある。Googleもamazonもmetaも、論文をarxivというサイトに日々発表していくし、state-of-the-artなモデルが日進月歩で公開されていくのもgithub、実装で躓いた先人の知恵はStack Overflowに蓄積されていく。(まあ、インターネットが科学技術の発展を加速させたので、にわたまなのだが。)そのデータはこの地球上のどこかのサーバー上に保存されているはずなのだが、もしある日そのサーバーやバックアップサーバーの上に隕石が落ちてきたら、すべてが一瞬で吹っ飛んでしまう。
しかも、近年の高性能なモデルを大規模なデータで機械学習させるには、GPUという計算処理を高速に行うことのできるパーツが必要。下記の論文によると、V100という種類のハイスペックなGPUを64個使っても79時間かかるくらい大量に計算することで学習が完了するのだが、それによって1438lbs(=652kg)の二酸化炭素が排出されるというレポートもある。これは、ニューヨークとサンフランシスコを往復する飛行機の利用に伴う旅客1人あたりの排出量の約70%に相当する。リベラル界隈では飛行機の利用を控える
”飛び恥じ”というムーブメントがあるという話も聞く。
https://arxiv.org/pdf/1906.02243.pdf
サーバールームに入った事がある人はいるだろうか?ああいった部屋には高性能のGPUが搭載されたサーバーが何台も、人間が寝ている間も休みなく稼働しているのだ。この処理を職場や家のデスクから実行したエンジニアは、電力消費について考えたことはあるのだろうかと無数の見えない顔を想像する。サーバーの側で猛烈に回るファンの風でコンタクトが目から落ちそうになりながら、「こんなサステイナブルじゃない世の中は長く続かないのでは?」「インターネットを維持するだけの電力がなくなる時代がリアルに来てしまうのでは?」と、ありえない話でもないように感じてしまうのだ。
究極はノアの箱舟
では結局どうすれば確実に、永遠に、残したいものを残せるのか?
となるとやはり物理的に残すしかないのでは、と作者と同じ結論に至る。
・写真は紙に印刷する
・図書や絵画は防火庫にいれる
・火星に輸送する
紙よりも確実で、火星に輸送するよりも現実的な方法の1つとして、作者の提案した方法ももしかするとあり得る方法かもしれない。(あくまでも問題提起が作品のメッセージだとは思うが。)
最近知ったのだが、地球上の食用作物の種子を冷凍保存している”シードバンク”と呼ばれる場所が存在するそうだ。ノルウェーの永久凍土層の地下130mに貯蔵庫があり、すでに世界各地から100万種近い作物の種子が貯蔵されているそう。日本からもオオムギ種子などが送られたとか。遺伝子を残すことを目的に作られたそうだが、テキストや画像データの保管もできるそう。これはリアルな「ノアの箱舟」だ。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/04/post-7350.php
ただし、電力が必要な情報なのか、物理的な物体なのかという違いはあるが、結局いつか、いまあるものは全てなくなるのである。
・地球はいつか寿命を迎える
・DNAが短くなり雄がいなくなって子孫を残せなくなって人間が滅ぶ?
・隕石が衝突して地球もろともふっとぶ?
終焉パターンはいくつか考えられるが、宇宙がなくなればどのみち意味のない悩みではある。そして宇宙ってどうやって始まったのか?宇宙が始まる前って何があったの?と、138億年前に思いを馳せるまでが私のいつもの取り留めのない思考のループ。
(終わりに)毎回いい出会いがある恵比寿映像祭
色々書いたが、冒頭で引用した平瀬さんの作品の着眼点・問題意識・メタ目標で創作活動するというのは、私も真似していきたいなと思った。
前回の2019年は、岸裕真さんという機械学習を使いこなすアーティストに出会えた恵比寿映像祭。来年も楽しみだ。
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