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ボルタンスキー『最後の教室』@大地の芸術祭 レポート

廃校という場所が相まって、無名の、無数の個人の"不在"がこれ以上ないほど際立っていた。
見て周る怖さも含め、忘れられない作品。

『最後の教室』(2006年)The Last Class
作者:クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン
会場:大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ
住所: 新潟県十日町市松之山東川192(旧東川小学校)

https://www.echigo-tsumari.jp/art/artwork/the_last_class/

はじめに

昨年(2021年)に亡くなったフランスを代表する現代アーティスト、クリスチャン・ボルタンスキーの作品を、新潟で拝んできた。

ボルタンスキーは世界中で個展を行うアーティストではあるが、2000年の第1回芸術祭より3年ごとに開催されるこのトリエンナーレに、2015年を除き毎回参加していて、日本との関係も深かったのだろう。

今回は、照明を中心に舞台芸術を手掛けるジャン・カルマンとの共同制作。

ボルタンスキーの作品について、キーワードを挙げておく。

・テーマ:生と死、存在と不在、記憶と忘却
・手段:光(特に電球が多い)、音、風、影絵、写真、衣類、遺品
・モチーフ:祭壇/亡霊/ガイコツ/コウモリ

本作品は1875年に創立され、1997年に廃校となった旧東川小学校の中を実際に歩いて鑑賞するのだが、特に2. 廊下 の光景は今も思い出せるくらい衝撃的だった。

1. 体育館

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扉を開けるとそこは真っ暗な体育館で、しかも足元が少し悪く立ち止まる。

敷き詰められたわらの匂いが漂ってきて、無数の扇風機が回る静かな音が聞こえる。

少し目が慣れてきてあたりを見渡すと、扇風機は椅子の上に置かれているようだ(派手にアキレス腱をぶつけてしまった)。

扇風機の風で揺れる無数の電球、部屋全体がプロジェクターでミラーボールのようにちらちらと光に照らされ、かつてここにいた児童と教職員の不在を思い知らせる。

プロジェクターの映像が一瞬止まるときがあるのだが、そのときは自分の呼吸も止まりそうになった。

2. 1階の廊下

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生まれて初めて、"死に向かう"感覚を味わったと思う(もちろん疑似的にではあるが)。

体育館を通り抜けると校舎に入り、角を曲がると廊下に出る。
突き当たりにある給食室の窓から強烈な光が廊下を照らしているのだが、手前で換気扇のプロペラがそれを攪拌するので、警光灯(回転灯)の渦に飲み込まれたような図になる。

動画はこちら:https://youtu.be/ZLHchXhQ6do

異常な空間に圧倒されつつ、順路を進むために光に向かって進むのだが、
わんわん回る光のせいで思考が止まり、どこからか聞こえてくる心臓の鼓動の音だけを聞きながら、光に(死に)呼び寄せられるようにただただ進む。

天井からは電球がぶら下がっていて、左右の壁に並べられた黒い鏡にひとつずつ映る。すでに死に迎え入れられた先人たちが私たちを歓迎しているように、ゆらゆら動く。

生きていれば常に死に向かって歩んでいるのに、そのことを明確に意識することができない私たちに、見えない事実を突きつけてくる作品だった。

3. 理科室

階段を上がると、心臓音はどうやら理科室で聞こえてくることがわかる。

心臓音というか、固くて薄い金属板を掌で全力で叩いているかのような爆音。「バコン バコン」という感じ。

理科室を覗くと、鼓動に合わせて電球の光が灯っては消滅する。
教室の中ほどまで足を踏み入れたがあまりに不気味で、写真も撮らず退散してしまった。

参考までに、関連する作品として《心臓音のアーカイブ(Les Archives du Cœur)》がある。世界各地で人々の心臓音をアーカイブしているプロジェクトで、日本だと瀬戸内海の豊島で作品に参加することができる。
その場で自分の心臓音を録音して登録し、CDを持ち帰ることができる。登録番号がもらえるので、番号を教え合えば他人の心臓音を聞くことも可能だ。
瀬戸内海を見ながら、生きているか死んでいるかわからない人の心臓音を聞くのは、いったいどんな気分になるだろうか。

実際に体験してきた方のレポを見つけたので、勝手に紹介しておく。

4. 教室

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2階には、席の代わりに透明のアクリルケースが整列している教室が続く。

それぞれのケースの中に1つずつ蛍光灯が上を向いて置いてあり、まるでここで授業を受けてきた人々が埋葬されているようだった。

床に敷かれた白い布、天井から吊られた白いビニールのカーテンが、死をある種の神聖なものと思わせるような展示だった。

以上が、レポ。

まとめ

2019年に新国立美術館で見た「Life Time」展と比較すると、作品数は限られていて映像作品もない。天井も高くないので、積み上げられた古着の山を見上げるというシチュエーションもない。

でも、そこでかつて生きていた無数の個人を思い出させるという意味では、これほどボルタンスキーの作品の展示に最適な場所はないのではないか。

ちなみに、第一回大地の芸術祭では、0.5ヘクタールもある河川敷で数百枚の白い服が風になびいている光景を見られたそうだ。《リネン(2000年)》という作品で、この地に住む住人の古着を集めて等間隔につるしたそう。

ここは2月には建物の1階の高さまで雪が積るほどの豪雪地帯だそうで、今回私は3月頭に訪れたため、小学校は外から見ると雪に埋もれているような状態だった。小学校の中も全体的に照明が落とされていて、まるでこの地に生きた人の魂が暗く閉ざされたように(なんだか封印されているように)感じる展示だったので、夏の展示もまた雰囲気が違ってよさそうだなと思った。

なにはともあれ、冬は休止になることもある本作品を見ることができてとても幸運に思う。初めて訪れた地方芸術祭、これは思い出に残るな。

いつか、チリのアタカマ砂漠でアニミタスが再展示されたら、その時は絶対見に行きたい。

最後に

たぶん小2のときからずっと考えている。
死んだらどうなるんだろう。死んだ後も覚えていてもらいたい。そのために何か作って残したい。
ボルタンスキーもそんなことを思っていたのだらうか。
理科室で聞いた心臓の音は、ボルタンスキー本人の鼓動だそう。

参考


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