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「趣味は読書です」と言いなさい

「趣味は読書です」
と言うようにしている。嘘ではないが、本当か?とも思う。一種の自己暗示のようなものかと思って、あえて言っている。


元職場の上司は、みな鬼のように本を読んでいた。
彼らの本棚は、どれも溢れんばかりの本が、というよりも、現に溢れていた。
そして、こともあろうに彼らはそれらを読んでいた。
研究書・新書・小説…そんなものは関係ない。

本は読むためのものだから、そりゃあ、そうなわけで、読まなければ単なるインテリアだ。
読んでなんぼ。そんなことはわかっている。
ただ、本当にそんな量の本を読んでいる人間がいるということを知らなかった私は、そのinputの作業の大切さを知った。
尊敬すべき人物は、一定程度の分量を読んでいるということを知った。


そんなことを思いながら10年。自分でノルマを課してせっせと読んでいるのだが、云何せん、私の集中力など、燃えた後かろうじて立っている線香の先っちょの灰のようなもので、何かの拍子に一瞬にして粉々になって崩れ落ちてしまう。
例えば、夕方隣のビルから聞こえるトランペットの音が一音でもはずれようものなら、あるいは、アホっぽいカラスの鳴き声が聞こえてこようものなら、おいおいおい、といったことになりかねない。


そんな精神力であるなら、いっそ声高らかに言い放ってやろうではないか。
「趣味は読書です」と。

この宣言によって、「あの人は趣味が読書なんだから何でも知っているよね」と他者に思わせ、その他者の期待に背かぬよう、私はせっせと本を読む。読まねばならぬのだと自らに言い聞かせる、という魂胆である。


他者の目を気にする人間にはオススメの読書術である。
なんてくだらないことを考えているのかしら、と思われるかもしれないが、それは一向に構わない。
なぜなら自分自身、情報量が増えることは望んでいることであるし、本を読むのは楽しいと感じることがある。


ただ、最後に1つだけ言いたい。

他者に伝えようとする気がないやつは、たのむから物を書かないでくれ。間違って買ったらどうするんだ。

せめて、帯に「これは私の独りよがりです。私金持ちでこれが売れなくても不自由なく生きていけるけど、本屋にこれが並んで誤って購入した人がいたら、滑稽な上にお金までもらえるから、本屋に金積んで平積みしてもらいました。本当に申し訳ございません。筆者」と書いてくれ。


そんなこと書いてる本があったら手に取る気がするけど。