「勉強しても金にならない」とは誰も教えてくれない2
「勉強しても金にならない」とは誰も教えてくれない1
https://note.com/naateemaa/n/n0150d2983318
勉強の話をすると、いろんな反応がある。
まっさきに、こんな人間があらわれる。
「何の役に立つの」
大抵の場合、これは純粋な質問ではなく、遠回しの批判である。この質問に対する答えはすでに用意している。
次にあらわれるのは、こんな人間だ。
「みんなの役に立つよ」
この発言は、大きく2つの別の方向性から発せられたものと考えられる。1つには、せっかくの勉強を成果として何か発表し、評価や報酬を得るべきだという助言的発言。2つには、社会貢献することは当然だというスタンスから導かれる批判的発言。
そして最後に、こんな人間があらわれる。
「自分への投資だね」
これは上記のものとは一線を画すようにも受け取れるが、実際は「勉強はあなた自身の役に立つ」というニュアンスを含んでいる。
つまり、勉強する者に対して向けられる発言は、そのほぼすべてが「役に立つ・立たない」という基準が設けられた上でのものとなる。
しかし、私が言いたいことは違う。私がいいたいのは「勉強」とは単なる「input」であり、その対象が社会であれ自身であれ何らかの「役に立つ・立たない」という基準ではかるものでもなく、ましてや、それが即座に、あるいは将来的に金をうみだすといったものでもない。
「勉強しても金にならない」
自身が得た情報が金になるのは、あくまで「output」した場合に限られている。