現代アート情報の古さ
現在の「文化人」は、茂木健一郎氏を見ていてもよく分かるが、恐ろしく知識が古い。ここで言及されている美術に限っても、現在の最新と言える所から、約40年間は停滞している。
先端を語っているつもりで、一種の「懐メロ」に淫するという本質が茂木氏の語り口調を通してよく見える動画。青春期に思い込んだ諸々の観念を、決して破れないという苦しさがそこには滲んでいる。
私自身の10代後半から美術を志した時からの経過を語れば分かりやすいと思うので開陳するが、芸大に入学した80年代中盤に私が「革新的」で良いと思い込んで率先して受容していたのは、筆頭がマルセル・デュシャンであり、国内では荒川修作等。他に(まだあまり注目はされていなかったが)ゲルハルト・リヒターは私は革新的だと思い込んでいた。現在の茂木健一郎氏のアート言及の内容と、私の最初期の経過はほぼ完全に被る。ここにいれば心地よいのだが、それが後に「苦」であることが私には発見される。私は90年代半ばに一度作家になり、ゼロ年代初頭までその観念のまま来てしまったが、その後完全にそれは消失した。
デュシャン、リヒター、荒川、他に当時西部美術館の宣伝でもてはやされたヨーゼフ・ボイス等が、自己の感触としてほぼ「ゴミ」同然の全く価値のないものになった。これは「自己の真実」(フーコー)である。その切断を、私にもたらしたものは何か。「平成」期の日本の現代アートの「裏チャンネル」(私への、森田靖也氏談)としての彦坂(尚嘉)ブログですね。それ以外に、国内において私にその契機をもたらしたものを指定することはあり得ない。その本質は、今の言葉で言えば「保守革命」ということ。彦坂氏はそれに先んじていた。
私は現在も、彦坂尚嘉氏との10年代後半以後の一時期の実際的な交流の経過を経て、敵対関係にあるが、それは私の主に政治姿勢(と言って良いと思うが)と氏のそれとは根本的に一致しないということに尽きる。これは解決しないであろう。私はそれで良いと思っている。むしろ生産的だと。ここでは詳述は省略する。
アートの「保守革命」に関してだが、単純に人が思い表現するところの「復古主義」ということではないだろう。曰く、「新・新古典主義」とか。彦坂ブログが顕にしたのは、むしろ革新的・現代美術(現代アート)の「本流」と呼べるまさに中央に、古典的な要素は必要条件として必ず入っていたということですね。それが現在においては例証されている。ミニマルアートの代表格のロバート・モリスがそうであり、他に枚挙にいとまがない。そのほぼ全てが今日に至る「戦後アメリカ美術」という枠内において集結されている。この現実を見ないことは、現代日本人にとって、危険である。脳科学者・茂木健一郎の言うことを、誰も信じてはいけない(恰好な反面教師として、活用すべし)。他の、アートに言及する文系・研究者なども同様に。
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