ゴシックとギリシアの、歴史の中の深い関係

ヴォリンガーが提出していた問題で、以下の点に私は同感です。以前からそう思っており、端的に言えばルネッサンスはそれほど重要ではなく、ローマでもなく、古典として第一番に重要なのはギリシアであると(これは、私は二十歳位から直観的にそう思っていました)。現代芸術の始端を考えるには、そのギリシアの基礎プラス(ヴォリンガーにふれた後での)ゴシックの形式問題という、現在は私は認識です。

ウィルヘルム・ヴォリンガー「ギリシャ精神とゴシック芸術」(1929年)(『問いと反問』法政大学出版局、1971年・所収)

「『ギリシャ精神とゴシック芸術。ヘレニズムの世界帝国について』というわたしの本は、すでに暗示された事情によってわたしたちの視野のなかに固定的に印象づけられてしまった多くの展望のゆがみのうち、そのひとつを、試みに訂正しようと意図したものである。さまざまな様式と文化の推移のなかで、ルネッサンスにいまなお主要なアクセントがおかれている。それは、偏見なしに文化的水準の評価を始める人にとって、人文主義的偏見以外のなにものでもない。今日なお、ルネッサンスのイタリアが、絶対的な意味で、たとえば中世最盛期のフランスよりも高い文化をもっていたとか、聖ピエトロ大聖堂は芸術上最高の偉業としてランス大聖堂とかそのほかフランスの輝かしい大聖堂のひとつより以上に有意義な文化遺産であるとか、そんなことを大まじめに主張する人がいるだろうか? いない。この点わたしたちは、今日、そこで問題になっている時代に、相異なる、公約数のない二つの文化思想がちょうどその最も完全な刻印の段階に達していたことを、はっきりとみてとり、そして理解している。それにもかかわらず、わたしたちの歴史的感情のなかに、歴史的現象の多極性を承認しないでルネッサンスを唯一絶対の中心点としてわたしたちに押しつけるあの人文主義的な力点の強調が、容易に訂正されずになお依然として残っている。ルネッサンスはどのような権利名でこのような要求を貫くことができたのか、それは明らかである。古代はイタリアの地盤においてのみ現実的に正統でありうる、そこでのみ古代的伝統の血縁的な持続があるのだから、という理由で古代を引き合いに出してくるのである。しかしこのような持続が実際に成立していたとしても、そこで問題になりうるのはただラテン的な、あるいはローマ的な古代にすぎない。そのような部分が全体を代表するような要求を実際かかげていいものだろうか? わたしは、たとえば、芸術的発展のなかではギリシャ的なフォルム思想の持続のほうがラテン的なフォルム思想の持続よりも比較にならないほど大きい、そして、あえて突飛なことを言えば、ゴシック芸術すら、たとえそれがヨーロッパ的中世の典型論において独自なものであるとしても、ギリシア特有のフォルム思想の理想的な再開および継続として現れてくる面を本質的にもっている、と主張した。」

ちなみに『ゴシック美術形式論』において、ヴォリンガーが提示したギリシアの「形式的彫塑性」と、ローマの「空間的彫塑性」と呼ぶ対比については、私は経験として大変理解できるものです。前者はルーブル美術館と大英博物館での私の鑑賞体験にもとづき、後者は、美術批評家ブルーノ・コッラ氏に連れられフィレンツェを散策した時に(私の隣には写真家の金村修がずっと付いて歩いていたのですが)体感しました。フィレンツェでは河の空間性が、私が他に体験したことがなかったもので、セーヌ川にもテムズ川にもないもの、まさにヴォリンガーの「空間的彫塑性」と呼ぶべきものであると。

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