ゴシック=ギリシア 1 加藤 豪 2024年12月22日 18:56 ウィルヘルム・ヴォリンガー『問いと反問』中の、「古代ローマ的なもの」(1924年)から抜粋。なぜ、これまで、ギリシャ書の頁をゴシック小文字で埋まった頁と並べてみることを、誰も考えつかなかったのだろうか? ギリシャ、ゴシックの両書がラテン文字の固定した精神にたいして密かに和合するのをみて、大きな驚きが生じ、すっかり考えこんでしまうだろう。そして、ルネッサンスや擬古典主義の芸術作品が、何故、ゴシック芸術のように、ギリシャの親和力的性格によって、すなわち、フィディアス的な想起の息吹きによって創られなかったか、そのことがおそらくおぼろげながら理解されるだろう……世界はゴシック時代になるまでローマ的であった。それから、新しいアッチカ(アテネを中心とする中部ギリシャの半島)、すなわちフランス(わたしたちが、あまりにもラテン的になりすぎてしまったフランスの背後に、遥か薄明の背景としていまなおかすかに感知しているあの別の、あのギリシャ的なフランス)が現れた。このフランスにおいて、壮大なフォルムと壮大な秩序のなかでいかめしく固定されていた世界が、解きほぐれ、ふたたび、生きいきと流れる流動状態になった。彫塑的な限定性にあふれた世界、しっかりした基礎をもつ絶対に静的なラテン文字で書きつづられた世界が、ふたたび、ひじょうに動的な生命のリズムを受けいれはじめた。ラテン的な安定性がゴシック的な不安定性になった。存在の筆跡が生成の筆跡になった。そのようにして、ギリシャの本能的結合の精神からゴシック芸術が密かに誕生するという事態が生じたのである。なぜなら、わたしたちがギリシャ的と呼ぶのは、疑いもなく、極めて深く純粋に感じられた生命のリズムであり、呼吸だからである。永遠に動的な生命を、その完全な充実とそのいうにいわれぬハーモニーの完全な音楽において聖列に加えること、そのことにたいして誰しもギリシャ的というこの呼名よりほかの名を決して必要としないだろう。ギリシャ芸術は、フォルムを彫塑的に把握するあらゆる場合の古典芸術として讃美された。それは、彫塑的という概念が、ラテン的フォルムの表象によって示唆されるような固定的安定的という概念との混同から一切解放されるときにのみ、許されることであり、また正しいのである。ギリシャ彫刻は安定的ではない。それには無限の流動性がある。ギリシャ彫刻において、世界は一瞬たりとも静止していない。それは常に生成であり、決して存在ではない。 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #フランス #ギリシャ #西洋美術史 #ゴシック 1