恋愛禁止を考えよう
「恋愛禁止」。アイドル界における闇のルール。
時代が変わるとともに、考え方が多様になり複雑になっている。そこで、僕の一つの考え方から、自分の考えを深めてほしいと思う。
①アイドルに何を求めているのか
なぜ「恋愛禁止」というルールが生まれたのか。
それは秋元康が作り出したルールと言ってしまえばそれまでだが、その背景には”神聖なものである”という要素が大きいのではないかと思う。
松田聖子やおニャン子クラブ。昔のアイドルはテレビの中のもので、一般人と大きい差があった。つまり、神聖であり、一般の方では手の届きにくい方の表現がアイドルであったということである。
アイドルという言葉はラテン語の「偶像崇拝」の意味からきており、ピッタリの表現であったということだ。
秋元さんはこのアイドルにビジネス的要素を見出した。宗教上の神はどれも”届かないもの”であり、絶対的なものである。ただ、無宗教の日本では、平等を与える神は実現しない。そこで”届かないもの”として異性の関係を取り上げたのだ。
「恋愛禁止」の儚い夢を追う可愛らしい女性。
「恋愛禁止」により、平等を掲げ、神聖であるという偶像を作り出す。可愛らしさで崇拝を誘う。
「崇拝」をするということは、心のよりどころとするということ。崇拝するほうからすれば、どんなかよわい人間も”神”となり、崇めることとなる。そして秋元さんは、その神を増やすことで、比較を通して競争心を煽ることで金を巻き上げるシステムを作り上げたのである。
金を巻き上げると書くと、聞こえは悪いが、これは無宗教の日本に神を作り出すという社会貢献でもある。すごい出来事だと思う。
要するに、「恋愛禁止」はアイドルであるために重要なものである。というのが、理屈的には基本的なスタンスとなる。
ただ、今は「崇拝」の意味合いが大きくなり、アイドルが神聖なものでなくてはならないという意味合いがなくなってきているのも事実である。
つまり、アイドルに求めているものが多様になっているということである。それは受け入れるべき事実だ。
だが、ここであえて自分の意見を書くと、アイドルは神聖なものであるべきだと僕は考える。
なぜなら、アイドルに求めているものが、一瞬の儚さ。
つまり、花火だからだ。
②神聖さとは何か
僕はアイドルの何かを犠牲にしてまで頑張っている姿が見たい。
その頑張りが、一瞬でもいいから力強く花開く瞬間。
それが、欲しいのだ。
そのための「恋愛禁止」。
そして、その頑張りが神聖さを生むのではないかと思う。
神聖という言葉を調べると、
尊くて、おかしがたいこと。清らかでけがれがないこと。
と出てくるが、前半の意味を僕は重要視している。
彼氏がいるからセックスしてるとか、そんなことはどうでもよくて、目の前のファンを喜ばすために何かを犠牲にしている姿が欲しいのだ。強いて言うなら、その犠牲が「恋愛禁止」というだけ。
別に裏でセックスしてようがしてまいが、目の前にいるファンのために120%を出しているならそれは神聖だと思う。恋愛肯定派の人はこのような気持ちなのではなかろうか。
「かわいい」から尊いのではなく、言葉や行動から頑張っている姿を想像することが可笑しくて尊いのだ。顔面が可愛いからそれが感じやすいだけ。顔面は+αの要素であり、想像力が欠如しがちな僕たちが、そのαの要素に左右されやすいだけなのである。儚いね。
③恋愛禁止というアイテム
ここまでくると、自分がアイドルに何を求めていて、「恋愛禁止」というアイテムがどのように作用するべきかぼんやりと見えてくるのではなかろうか。
「恋愛禁止」はあくまでアイテムだ。
乃木坂46はこのアイテムを麻薬のように使ってきたからこそ、神聖さを保ってきたのは事実であり、今の立場を作った大きな要因である。
このアイテムは取扱説明書が100ページくらいあって、悪魔の契約を交わさないとダメなものだったんだきっと笑
僕は、アイドルである期限が「3年」と決められている
「年齢制限」アイテムを使うアイドルがいてもいいなと思う。その3年だけアイドルでそのあとは芸能界から姿を消す。
きっとそのほうが、僕は命を燃やして「崇拝」することができるんだと思う。
④アイドルもオタクの人間
アイドルを”真面目に推す”ことは身を亡ぼすことに繋がる。
アイドルは彼氏といちゃこらするものなんだから神じゃないってことは証明されてるんだし、芸能人気取ってるアイドルはもうタレントだし、
崇める必要はないよ。
オタクだって人間なんだから。
なんてことを僕は思います。
自分で考えるきっかけになればいいななんて思います~
ではでは。