人間に生まれてこなければよかったのに
※エッセイです。
今年で24歳になった私ですが、
この24年間でこんなことを少なくとも12回は思ってきました。
中学1年生から毎年1回(誕生日)は必ず思います。
こんなこと書いてたら「お前病んでるだけだろ」と思われているかもしれませんが事実なので何とも答えようがありません。
なぜこんなことを思うのかといわれると原因は以下の2つかなと思います。
①根が真面目すぎる
②自分の人生の目標がなかなか見つからない
①根が真面目すぎるについてはもう性格なので変えられません。
ひと気が少ない赤信号については平気で渡るくせに、仕事では人の期待を裏切りたくないから、進捗報告した後に深夜までやってしまう。
真面目な人間が損するものだと分かっているのに変なところだけまじめなんですよ。
②については、自分が何をしたいのか・どのような人間になりたいのかがずっと決まらないのです。
これが焦りとなって、余裕のない生活を過ごすことを余技なくされてしまいます。
以上を踏まえ、思うのが、
「思考」を捨て、「本能」のまま生きることができたらどれだけ楽かということです。
「思考」が一番優れているのは地球上では「人間」となります。
(もしかしたらサルとかの知能が高く、あの生活スタイルが一番効率がいいということを理解しているのかもしれませんが。。)
なので、”「人間」でなければ「思考」を放棄できるのにな”
ということを誕生日に思ってしまうわけです。
いわゆる、「闇が深い」人間だと僕は自分のことを理解しています。
いや、「闇が深い」というよりも「余計なことを考えてしまう」面倒くさい人間かもしれません。
ただ、このような人って意外と多いんだなとも最近思い始めています。
というよりかはそのような感情を吐きだしやすくなっているのかもしれませんね。
考えることで(考えが浅いと怒られることはよくありますが)闇の中に光が差す感覚を味わえるのは人間の1つの魅力だなと思います。
noteを書いていると不思議ですね。自然と前向きになるかもしれません。
誰かと話しているのと同じなのですかね。
いつか本音と建前が時代と調和して良い意味のあるものとなればいいなと思います。
「人間は考える葦である」
考えることをやめちゃだめだ!
人間に生まれてきてよかったと心から思えるような生活をしたいですね。
人生のピークだった小6を超えたいなぁ
ではでは。