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期待しない生き方

昔、乃木坂46の齋藤飛鳥さんが言っていた

「期待しない生き方」

彼女はこの生き方を意識することで、自分を保ち、次第に周囲からも認められたという。

僕の中でも、この生き方は憧れる部分がある。

これの真意について少し考えてみたい。


誰に期待しないのか

「期待しない」

まず、この言葉を聞いて思うのは、「誰に?」という部分だ。

これには2種類あると思う。

①”自分”に期待しない

②”周囲”に期待しない


どちらも、”ありのままの自分”というものを守るために有効な言葉に聞こえる。(ありのままと表現しているが、僕個人としてはそんなものないと思う。なぜなら、考え方は日々変わっていくものだからだ。これについてはまた書きたい。)


期待という言葉の意味

次に、「期待」という言葉の意味をおさらいしておこう。

あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。
当てにして心待ちにすること。 引用:goo辞書


この意味から、期待しないという言葉は2パターンあるかなと思う。

①あることが実現しないとして、待ち受ける

②あることが実現するだろうと思うが、待ち受けない


本人がどちらを意味しているかは知らないが、心持ちで言うと、②のほうがポジティブに聞こえる。あくまでスタンスの違いなのでどちらがよいとは言えない気はする。


いくつかのパターンが存在しそう

上記で記した、「誰に?」という部分と「スタンス」の部分。

これらをうまく融合させて、ポジティブに変換したものが「期待しない」の真意なのではないかと思う。(本当はもっと分解できそうな気がするが)


冒頭でお話した飛鳥さんはきっと組み合わせで言えば

①×① 自分に都合のよいことは起きないと思いこむ
②×② 周囲から都合のよいことが起こると思うが、待ち受けない

になるのではないかと思う。


きっと、飛鳥さんが昔からのファンに熱いのはこの部分があるのではないかと思う。

これが②×①の組み合わせだと、周囲からは寂しく見えてしまう気がする。

ファンに期待しないアイドルなんて信頼もクソもないじゃん。

そもそも、ファンからの一方通行で終わりがちなものだから、ある程度ファンに期待してほしいのが多くのファンの本音なんじゃないだろうか。


今回は、アイドルで例えたが、普段の生活の中でも、人への期待値と自分の期待値のコントロールはものすごく大切だと思う。

それがうまくいけば、変に落ち込むこともないし、人に優しくできる気もする。仕事をするにあたっても期待値を知れと言われるが、そこを自分にしろ相手にしろ、ゼロにしてしまったり100にしたりすると心を絞めることになってしまうんだろうなぁ。


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ここ数日で思うのは、アイデンティティというのは、バランス感覚という支えがあって、その氷山の一角みたいに鋭角なものを指すのかなと。


あくまで、バランス感覚という土台がないとアイデンティティは崩れ去るし、バランス感覚だけで生きていても(本人自身で納得しない限り)面白い人間にはなれない気がする。


難しいなぁ人生。


ではでは。

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