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交わろうとする平行線①
唐突だが、10月に入ってから写経を始めるようになった。理由はちゃんとある。
少し前から緩やかにだが気力が回復し始めてきたような兆しが見える。仕事を再開するには最低でも休憩までの4時間は集中力が必要だが、まだ本を一冊読み切るとか、2時間ある映画ですら最後まで見続ける等はしんどい。何よりこの記事をちまちま上書き保存しながら作成しかけてもう5日目だ…
集中力の持続はまだまだ追いつかない。
「何をすればトレーニングになるかな」と思っていた頃、クローゼットを開けた時に学生時代使って仕舞っていた書道用具や用紙を保管している段ボール箱が目に留まった。確か写経用紙もあったはず…
そう思いながら開けてみると、やはり一番上に写経用紙が束のまま入っていた。ちょっと茶けてはいるが使う分には問題ない。
硯や墨、小筆も一式あるが、今は集中して何かを続ける事に意味があるので、筆ペンから始めることにした。ただ、筆ペンですら暫く振りに触るので感覚がなかなか戻らない。初日はガッタガタの楷書で最後まで硬い字。サムネは2日目に書いたもの。現役で毎日のように書き続けていた学生時代には及ばないが、続けていく先にどう変化するかは楽しみだ。
さて、写経をするにあたって肝心な「般若心経」の意味を全く知らない私…
せめてどんな内容が書かれているのか知りたいと思い調べてみた。漢文をわかりやすく日本語に意訳したものが見つかったので以下のサイトより一部引用させて頂く。
「観音菩薩は真理を悟る修行につとめるなかで、ある真実に辿り着いた。その真実とは私たちを構成するあらゆるものは「空(くう=実体がないこと)」であるということである。(中略) 苦しみも、苦しみの原因となる迷いも消え去ることもないし、その方法もない。そして知ることも得ることもない。 だから、得ることがないことを理解し、悟りを開く者は物事の本質に依るため、心に妨げ(固定的観念、物事に執着する気持ち、色眼鏡)となるものがない。
心に妨げがないために、恐れることもない。誤った考え方から距離を置くことで、平穏な心でいることができる。
お釈迦様は弟子にこう説くが、解釈が難しく、読み手によって如何様にも受け取れそうな気がする。ただ私には抜粋部分の下三行が心に留まった。「心に妨げがないために、恐れることもない。誤った考え方から距離を置く事で平穏な心でいることができる」
これを読んだ時、何故か私の中には父の姿が思い浮かんだ。過去記事で子供の頃から父とは折り合いがつかず、日常的に会話がなかったこと、昔は大嫌いだったが当時の父の年齢を自分が追い越し始め、また互いに年齢を重ねたことから許容できる心の余裕が生まれたことで以前ほどの嫌悪感が薄らいだこと、生前の祖母から幼少期の父の様子を聞いたことで、父自身も親からの愛情に乏しかったのではないかということがわかったからだ。
産まれたばかりの子供にとって、最初の世界は「家庭」だ。子ども達が健全に幸せに育っていくかの第一関門は「家庭」からスタートする。
最近はよく「親ガチャ」なんて言葉を耳にするが、その単語をお借りするなら我が家は親ガチャ失敗例、いわゆる「機能不全家族」に該当する。
まだ生きている自分の親をあれこれ言うのは良くないが、後の展開に繋がるので敢えて言う。
端的に父がどんな人間かを挙げるなら…
①典型的なモラハラ夫
②機嫌が悪いと母のいないところで子供に手を上げる(児童虐待)
③酒乱
④家庭と外での二面性(ストレスを家庭にぶつける)
まあザッと大きくこんなものだろうか。
今は②と③は解消したが、①と④は健在だ。
細かく言えばキリがないが、もうこの4項目だけでも充分離婚案件になるだろうし、仮に調停で揉めても証拠さえ残しておけば親権や慰謝料は取れるだろうと思えるくらいには酷かった。特に父が外で飲酒して帰宅した日が最も厄介で、母に絡んでは因縁を付け、散々暴言を吐き散らかし寝てしまう。
子ども達は見つかると流れ弾を喰らうので、父が飲み会だと知ると帰宅しそうな時間は押入に隠れていた。姿さえ見つからなければ酔っ払って大人しく寝てくれたからだ。怖いことに当時はそれが当たり前の日常として育った私には、一歩家を離れて他の環境を知った瞬間ショックを受けた。我が家が普通じゃないと知ったのは小学校低学年くらい。学校の友達と遊ぶことか増えれば自然と友達のお宅にお邪魔する機会もある。
他所のお父さんは皆優しかった。
例え子供が言い訳しても反抗しても一切怒鳴らず叩かず穏やかに諭す。自分の娘の同級生にも気軽に話しかけてくれたし、一緒に遊びに連れて行ってくれた。「良かったらご飯食べて行き」と食事をご馳走してもらったこともあったが、食事中まで説教される毎日を過ごしていた自分には他人の温かい家庭に何故か言い知れない居心地の悪さを感じていた。
もう一度言う。
子供が健全に幸せに育っていくかの第一関門は「家庭」だと。そこには成長過程で必要な反抗期も含まれるが、私達姉妹には反抗期がなかった。正確に言えば反抗する余地すらなく攻撃されるので、防衛本能で父と衝突しないよう極力関わるのを避けていた。
一度だけ、理不尽に怒りをぶつけてくる父に納得がいかず反抗した事があった。自分は何もしていないのに、一方的に私のせいにし決めつけ怒鳴りつけてきた父に言い返したら、「反抗するな!」と平手打ちにされたうえ三倍の怒声を浴びせられ返された。その日私は部屋でずっと泣いていた。叩かれた頬が痛いからではなく、怒鳴られたことが悲しかったからではない。悔しくて涙が止まらなかった。父の言動が全く理解できなかったし、割に合わない攻撃を喰らうのは御免だと、その日以来、父に盾つくのは止め、関わりを最小限に留めるようになった。次第に父親の機嫌の悪さを察知するスキルと自分の感情を殺すスキルだけは上がり、それに反比例するように声色や表情が失われていった。(続く)