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「過ぎ去り、消えゆくものを忘れずに見つめ続けていくことに意味を見出す」悲しみを美へと昇華し、存在自体で人々と対話できる作品づくり

              【インタビュイー】ガラス作家・保木 詩衣吏

自然をモチーフに、板ガラスに釉薬を塗り、重ね合わせ、焼いて、磨いて、作品をつくる、ガラス作家の保木詩衣吏さん。
自然豊かな岐阜県飛騨地方に生まれた彼女は、雪深い土地で芽吹いたり、消えたりする自然の表情に尊さと切なさを感じ、雪や落ち葉、泡など、自然の中で朽ちて消えていくものを板ガラスに描き、「溜める」「留める」をテーマに作品を制作している。
武蔵野美術大学で学び、富山ガラス造形研究所で技術や表現手法を探求した後、ものづくりの文化が暮らしに浸透している金沢に拠点を移して活動をしているそうだ。
日本の豊かな自然と、悲しみに美を見出し消えゆく儚さをかたちに留めようとする作品が特徴的な保木さんに、ガラス作家となったきっかけから現在に至るまでなど、これまでの軌跡を伺った。


ガラス作家になるまでの道のり


ーーなぜガラス作家になろうと思ったのでしょうか?

保木:保育園の頃からものづくりが面白かったのです。
ずっと美術が好きで大学はデザイン科を目指していましたが、美術予備校で工芸と出会い、手を動かして作り表現することに面白さを見出しました。

ーー岐阜出身で東京の大学で学び、富山に行ったのちに金沢とさまざまな土地に移っていますね。

保木:大学卒業後富山の研究所で技術や表現を深め、工房に所属するために金沢に住みましたが、しっくりきました。
金沢という街には工芸を大切にする風土が感じられます。
例えば、街路樹が大きく道を圧迫していて、四車線道路がいきなり三車線になっています。木を切らずに木を大切にして道を歪ませている。自然を大切にしています。「御細工所(おさいくじょ)」の精神です。
江戸時代初期、加賀藩3代藩主前田利常が、街を豊かにするために工芸の職人を育て、ものづくりを大切にしました。
金沢にはこの江戸時代からの工芸を大切にする精神が引き継がれ、昔からあるものをリスペクトしています。

昔からあるものがリスペクトされた街並み


ーーガラスは扱いが難しく技術を要する素材ですが、ガラス作家になるためのプロセスとは?

保木:難しい素材を扱うには技術が必要。
自分の表現を形にするには、自分のやりたいことと技術を近づけなければいけないので時間がかかります。
作家になるには職人になることとはまた別の部分まで素材との関わりが深くなり、やればやるだけ表現のしがいのある素材とも言えます。
ガラスは対峙する人によって表情が変わるので、表現するには適している素材です。
大学で3年間ガラスに触れ、卒業制作の段階では考えと技術が追いついていません。その後3年間富山ガラス造形研究所で研究し、ようやく表現に技術が追いついてきたという感じです。


アーティストか職人か


ーー影響を受けた人物はいますか?

富山ガラス造形研究所で自身の制作スタイルに悩んでいた時、富山の市民プラザでチェコを拠点に活動していたボフミール・エリアッシュの展覧会に出会い、制作スタイルに衝撃を受けました。
彼は画家でありガラス彫刻家でした。私が美術を好きになったきっかけは絵(平面)でしたが、当時は立体物の制作とのずれを感じていました。
しかしこの展示をきっかけに好きな絵をガラスに重ね、板ガラスを用いて造形をする今のスタイルへと変わりました。

ーー日本には「用の美」という思想があり、工芸とアート、双方がお互いの領域を行き来しているようにも思います。自分は職人かアーティストか、どのようにお考えですか?

保木:括りにはこだわらない。工芸という括りに縛り付けられるのは窮屈に思います。
しかしファインアートの領域に行きたいために制作している訳ではありません。用の美というのは、使い手の気持ち、他者を思いながらモノを作る視点が大事になってきます。
自分は実際に用いるものを作りながら、自分の美に対する思想を通して、実際にそれを使う方と対話したいと考えています。それは言葉を必要としない、ヴィジュアル・コミュニケーションです。
オーダーがあり器を作るにしても、それを見せる場所に合わせた形態、用途は考慮するものの、求められているものを作っているという感覚はありません。作り手と使い手が対峙したときに、何かしらのビジュアル・ランゲージを通じたコミュニケーションを大切にしています。

保木さんの作品「溜まる場所」

アイデアの源泉、作品に込める思い


ーー作品制作のプロセスについて、「悲しみを見つめるような、ネガティブな側面があるような気がする」と評されていますね。

保木:悲しみというのは昔大事だった気持ち。それ自体を見つめ続けることは健全ではないのかもしれませんが、とても人間らしい感情だと思います。そういった悲しみを忘れ、ネガティブな感情を乗り越えて生きていくことは必要なのかもしれません。
一方で、それを完全に切り離して生きていくのも何か違うと思う自分がいます。自然に反したその気持ち、自分の感情と自然の摂理が乖離している部分が、水溜りをのぞいた時にすぐ流れて消えずに残っているその様が自分の気持ちとリンクしているような気がします。
流れゆく昔を大事だと思いたいし、過去を振り返ることは自己を再確認するプロセスのようにも思えるのです。

ーー自然と対峙する現在の作風は従姉妹の死がきっかけということですが、それ以前との違いを教えていただけますか?

保木:工芸を始めて悩んでいた過渡期に、きれいなものを探そうという目線で周りを見ていました。しかし従姉妹の死をきっかけに周りの見方が変わりました。今しか出会えていない風景のひとつひとつ、今この瞬間の美しさに気づいたのです。
その時は自然物が朽ちた姿をデッサンで書き留めていました。ちょうどその頃ボフミール・エリアッシュの展示も見ました。自身の転換期と身近な人の死が重なり、それまでとは異なる目線で周りを見るようになったのです。
本当はずっといて欲しかったというネガティブな気持ちも肯定し、大切にする。無理に前を向く必要はなく、悲しみを美に昇華して作品を作るようになりました。
雪が溶けて水溜りになるような大きな作品を制作していた時、自分がやりたかったことが為せたと確かに感じることができ、涙が止まりませんでした。

デッサン風景

地域密着型ワークショップから海外での展示まで、広がる活動の可能性


ーー帯留めやピアスなども制作されていますね。特にガラスの帯留めは珍しいようにも思えます。

保木:やってないことをやってみるのが好きなので、なんでもやってみたいと思っています。
コミッションワークでは大きなものを作ることが多いですが、ガラスだけだと大きなものは作れません。ガラスと陶器を合わせて巨大な彫刻を作るプロジェクトを今は手がけています。
トライ&エラーを繰り返しながら新たなことを発見し、できることも増えていくのです。

ーーワークショップも開催されているようですが、目的や内容を教えていただけますでしょうか?

保木:美術予備校で教わっていた豊福亮 先生が現代美術作家で、千葉県市川市で開催された芸術祭「いちはらアートミックス」で作品として自分の王国を作りました。
私はその王国を構成する館の一つを担当し、そこでガラスのワークショップを開催しました。
ガラスは扱いが難しい素材ですが、2歳の子供から体験できるようにガラスに絵を描き、窯に入れて定着させるという内容です。簡単にアクセサリーになったり、持ち帰りできる何かを制作できます。それがワークショップの始まりです。
老若男女、多くの人々の人に喜んでもらえました。子供がガラスで製作して、それを両親や祖父母が見ていたり、皆が楽しそうだったのが嬉しかったです。
難しいと思っていたことが形になる楽しさが伝わったのではないかと思います。

ーー国内では多数の展覧会に出展され、近年は香港でも展示されていますね。今後さらに活動を世界で展開することを見据えていますか?

保木:香港のギャラリーとはインスタグラムを通じて連絡をいただいたことがきっかけで知り合い、展示にもつながりました。
ヨーロッパは伝統的なガラス工芸、メーカー、技術が根付いていますし、オーストラリアはアボリジニー文化との融合があり、アメリカは大規模な作品が多い。
ガラス工芸は国によって性格が異なり、作り手によって新しい技術との化学反応があり面白い作品が世界には溢れているので勉強しに行きたいし、作品を通じてヴィジュアル・コミュニケーションすることを目標としているので、海外にも発信していきたいと思っています。
表現したいことにフォーカスして、素材とのやり取りを探求したいと思っています。今の殻を破ることも目標です。

香港での展示の様子


保木さんの作品はこちらからご覧いただけます!


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