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お金の稼ぎ時と使い時は一致しない

割と稼ぎがよく、そのぶん多忙だった以前の仕事を辞めてフリーランスになって、収入が3分の1くらいになったころ、比例して自分の時間がふえたのでたくさん本を読んだ。

当時、とはいってもつい半年前なのだけれど、たくさん読んだ本のなかに、ビル・パーキンス著の『DIE WITH ZERO』があった。


アメリカンな装丁

ちなみに、わたしはふだん、自己研鑽やマインドセットのための本は読まない。なんとなく、こうしなければ不幸になるとか、成長せぬものを待つのは破滅のみとか、そういうあおりを感じてしまうため・・・。

なのだけれど、ちょうど収入と働きかたと幸福のバランスについて考えていた時期だったので、タイトルが気になって購入。

この本をほんとうにざっくり要約すると、

現代人は将来の不確実性にそなえてあくせくお金をためたりキャリアアップしたりする時間に自分のほとんどすべての労力を費やしてしまいがち。

家族や友人とすごす時間や自分をしあわせにしてくれる経験にお金と時間をつかうことが人生の充実度を高めてくれると頭ではわかっていても、自分の老後の資産とか、子どもの教育資金とか、組織での昇進やキャリアアップとかで思考がマヒして、幸福をどんどん先送りしてしまう。

そして、気づいたときには両親が老いていたり、子どもが大きくなりすぎていたり、自分の身体能力や感性が若かりし頃通りではなかったりして、結局幸福な時間をすることなく手遅れになってしまうことが多い。

仕事やカネや物質を得るのは人生を豊かにするためなのだから、「万が一にそなえて貯める」ことに一生懸命になってはいけない。

という感じ。

わたしが文章にするとつるっとした感じになってしまって著者にも訳者にも出版社にも申し訳ないのだけれど、読んでみるとしみじみ納得感があった。

このなかに、実践してみたいなと思った考えかたがあったので、その記録を書きたいと思う。その名は、

タイムバケット


タイムバケットとはすなわち、「時間のバケツ」のこと。
「自分は残りの人生で何をしたいのか」を、おおまかな時間的枠組みのなか、たとえば5年区切りか10年区切りで、時期別にリストアップして行動計画を立てるというもの。

***

たとえば、わたしの場合。

わたしは今年37歳になった。子どもがまだちいさくて年齢によって家族でできることできないことの差がおおきいし、仕事でやってみたいことも変化し続けているので、10年区切りより5年区切りのほうが計画が立てやすそう。

ひとまず、35歳から5年区切りで、60歳までタイムバケットを作ってみる。

タイムバケットの箱

意外とバケット数がすくないことにぞわっとしながら、各段階で子どもたちや夫や両親が何歳で、どんな健康状態で、どういう生活を送っていそうか、想像して書き込んでみる。

あくまでもわたしなりにやった結果なので、もっとざっくりでも、もっと細かくてもいいかもしれない。

タイムバケット更新中


その前提で、自分がどんな経験ができれば幸福か、考えた。


まず、自分の営みについて。
次に、夫と子どもたち、わたしの家族に対するもろもろ。
最後に、両親に対すること。

そういう視点で、これだけはしないと後悔するな、という内容をちまちま埋めていくと、ざっとこんな感じになった。

とてもざっくりしているけれど、現在のわたしのタイムバケット

すると・・・よくわかる。

これだけはしないと後悔する、ということはたいてい、ささやかな日常の暮らしにまつわることである、ということ。

そして、

お金稼ぎ時と使い時が、ぜんぜん一致しない、ということ。

子育てがひと段落して、わたしが存分に働いて貯金できるようになるころ、子どもたちは親とすごして満面の笑顔でわらってくれるような年齢ではないと思う。

その頃きっと、年老いた両親は、慣れない場所を訪れるのがおっくうになっているだろう。大好物をおいしいと思えなくなるような、健康上の問題も抱えているかもしれない。

わたしには、使いたいお金が貯まるのを悠長に待っている余裕なんて一分たりともなさそう。60歳まで、タイムバケットはたった5つ。

1つでも無為にひっくり返してしまったら、そのかけがえのないチャンスはきっともうめぐってこない。

年老いてから病院のベッドに横たわって、成長した子どもたちのちいさな頃の笑顔や亡くなった両親のおもかげを思い出しながら後悔するなんて、絶対に絶対にいやだ。

***

というわけで、この半年間、収入と働きかたと幸福のバランスについて考えながら、実験をしてみた。

安心できる収入を確保しようと思うと、子どもたちがちいさい今、本を読む時間も文章を書く時間も、家族ですごす時間も、どんどん圧迫されていってしまう。それに、準備期間を設けなければ、今までの経験を切り売りするだけの働きかたになってしまって、タスクをこなすだけのマシーンになって、仕事を辞めた意味を見失ってしまいそう。

そう思ったので、たまに不安でしかたなくなることはあれど、今年は収入確保に重きを置くのは辞めて、思い切って仕事を減らした。

その結果、収入は減るけれどそのぶん疲労やストレスも減って、本を読んだり文章を書く時間が増えて、まずまっさきに飲酒量が減った。

次に、外食しなくなった。外でお腹を満たすより、家でのんびり料理したいと思えるようになった。

朝夕、子どもたちと散歩をしたり、絵本を読んだり、ごろごろする時間も増えた。その時間が増えたぶん、子どもたちを保育園に預ける時間が減っているためなのだろうか、子どもたちが突発的に発熱したり体調を崩したりすることも減った。

さて、ここまでは、どちらかと言えば物質的なものや経済合理性のなかで測ることができるものを「減らしていく」実験。


じつは、先日はじめて、体験に投資をする実験をしてみたので、最後にその記録を書きたい。

***

先日、貯金を切り崩す生活をしているなかではかなり思い切って、二泊三日で、両親と子どもたちを連れて関東の温泉地を巡った。

宿は、奮発して、一泊目が箱根の露天風呂付きの旅館。二日目が熱海のリゾナーレ。子ども向けのアクティビティは、道中も到着してからも、無料のもの有料のものもぞんぶんに楽しんだ。

まともな経済感覚なら、今の状況でこんなに思い切ってお金を使うなんて考えられなかったかもしれない。それに、当然思い出に残る体験はお金で買えるものだけではないので、ほんとうはみんなでキャンプとかでもよかったのかもしれない。

でも、今回は奮発したかった。両親はこれまでにのんびり温泉地めぐりなんて贅沢をしてきていないし、実家もわたしたち家族の住まいも自然あふれるローカルなので、キャンプをするなら家の庭でも・・・となってしまうと思った。それに、宿に泊まるならば、子ども向けのサポートが整っていない宿だとストレスばかりかかってしまって、途中で疲れ果ててしまう気がした。

さらにわたしは、26歳で就職して(遅い)はじめて、旅行中いちども仕事をしなかった。メールもチェックしなかった。


結果。


子どもたちは大はしゃぎで、ずっとにこにこしていた。
水族館や博物館や宿のごはんに歓声をあげ、部屋にある露天風呂やホテルのプールに飛び込み、じいじとばあばに思う存分に甘えて、行きしなに水族館で買ってもらったぬいぐるみを後生大事に抱きかかえていた。

両親は、しみじみと、

「こういう旅行は一生になんどもないと思う。」

と言っていた。旅行からわたしの住まいに一度戻ってきて、翌日、別れを惜しみながら空港に向かう電車の改札まで送ったときには、二人とも涙ぐんでいた。

***

みんなが健康で、機嫌よく、天候もよく、疲弊もせず、なにかに追い立てられることもなく、自分たちの目のまえに来てくれた幸福と楽しみだけに向き合って、笑いあいしあわせを分かち合うことができる時間は、たしかに一生になんどもないのだと、わたしも思った。

子どもたちはすぐに成長するし、両親はまたたくまに老いていく。

社会や経済も変化していく。みんなみんなかわっていく。

明日生きている補償だってないのだ。

今回は、思い切ってほんとうによかった。


幸福だし、幸運だった。

あれから数日がたったけれど、楽しかった素晴らしかった旅の余韻から抜け出せずに、たまにぼうっとしてしまう。
わたしは今、ぼうっとしながらこの文章を書いている。



結論。タイムバケット、なかなか良いです。
さて、働こうっと。

おおはしゃぎの江ノ島水族館
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