周りを見ても自分の人生の正解が見つからないのなら、いっそ自分の正解を生み出せば良い。
※今回のブログは、ただの私のつぶやきの垂れ流しです(^ ^;
オチはあるようでありません。
さて、最近はめっきり発信が途絶えましたがw、
(やはり発信を継続することは私にとっては苦手ですね。。汗)
最近はノートを開いては、
ひっっっっっったすら自分との向き合いしていますw
これは講座の募集やら色んなタスクやらが一段落してきて、
余裕ができたこのタイミングだからこそ、
私がずっとやりたかったことでもある。
今やっている『向き合い』とは、
「今、自分が何を感じてるか?」
みたいな、感情とか思考レベルの向き合いではなくて、
今やっている自分の仕事や人生全ての方向性、
自分の生き方そのものに対しての向き合い。
これからの自分がどんな世界観を目指していきたいか?
自分はこれからどんな仕事を生み出していきたいか?
今の自分が今後提供していきたいサービスとは何か?
自分が今本当に世に生み出したい価値とは何か?
自分が本当に実現したい生き方やあり方、ライフスタイルとは何か?
逆に、
これまで意味を見いだせずにどこか惰性でやっていたことはなかったか?
心からやりたい程でなくともやっていたことや、
誰かが「やった方がいいよ」「これが正解だよ」と言ってたからやってたこと、
心のどこかで実は辞めたいと思っていたことは無かっただろうか?
別に積極的に心から望んでもいないのに、手にしようとしていたことはなかっただろうか?
それらをひたすらノートに書いては一旦寝かせて、もう一度ブラッシュアップして、また思いついたら書いて、考えを深めて、また深めて…
その終わらない無限ループw
自分なりのしっくりとくる答えが見つかるまでひたすらやっている。
何なら、答えが見つからなくとも思考を何度も深めている。
これいつまで続くんだろうっていう思考がでてくることもあるけど、でもあえて期限を決めない。ひったすら自分への問いかけを続けてみる。
そうすると、それはもう面白いくらい、色々出てくるんだよね。
面白いから、まだ止めたくない、辞めたくないw
多分まだ出てきそうだから。
止めたら、そこまでだからね。
そうして自分の本音と繋がると、純粋でピュアなワクワクが蘇ってくる。
いや、ワクワクなんていう可愛い言葉ではないか。
ゾクゾク、という言葉の方が合っているかもしれないw
これまでも、日常的に自分の本音とかは愚直に向き合ってきたつもりだったけど、
あえてガッツリと時間をとって向き合ってみると、
いやーまだまだあるじゃないか、と思った。もっともっと奥深くに。
ゾクッと鳥肌が立つような、
なんなら未知数すぎて、挑戦することへの怖さもあるような、
でも心が挑戦せずにはいられないと疼くような・・・
そんな自分にとっての、本当の理想的な生き方・世界観が見えてくる。
その未知の方向性に向かって生きていくことへのワクワクと心の充実感というものは、
誰かに敷かれた人生のレールを生きている以上は決して味わうことは出来ない。
たとえどんなに孤独で怖くとも、
自分で人生を開拓して、自分なりの正解を見つけていかない限り、
決して手にすることは出来ない。
当然私も、20代もまだまだ中盤、人生においてはまだまだ甘ちゃんだし、未熟者ではあるけれど、
その挑戦的な選択を取り続けることは決して止めない。いや、もはや楽しすぎて止められない。
例えそれが簡単で楽な生き方ではなかったとしても、その選択を取らない生き方など、もはや考えられない。
と同時に、やはりどう足掻いても私は、社会不適合な節が大いにあるんだなと。
自分との向き合いを深めれば深めるほどに、
社会一般的に、大多数にとって大切にされている価値観の中には、
残念なほど私が大事にしたいものはないと思い知らされる。
社会一般の価値観や常識、大多数にとっての『普通』の中には、
やはり自分は適合しきれないし、その中で生きていても一向に心が満たされない。
いや、知っていたつもりだったんだけどね、改めて思い知らされる。
私が大事にしたいこと・譲れないことを、
私と同じくらいに大事にしようとしている人は、
周りを見渡してもやはり少数派だ。
私の中の大事にしたいこと・譲れないことは、
私にとって、それを大事にできないことは、イコール心が死ぬレベルのことだったりするけれど、
一方で周りの人にとってはそこまでこだわらなくても済むこと(別に心が死ぬわけではないもの)だったりする。
だから、私が既存のものから自分の正解を見つけようとすると、決まって、
「くそ~・・・、なんで私はこんなにもそれに適合ができないんだ・・・」
「あれも違うのか、これすらも違うのか、私が望んでいるのは一体何なんだ・・・」
と軽く絶望してしまうというオチが、その先で待っている。
でもだからこそ、
自分なりの、自分だけの正解や心地良さを追求していかなければならない。
自分で自分の人生の最適解を、責任を持って見つけていかなければいけない。
いくら周りを見ても探しても、その答えは見つからない。
周りを見ても答えなんか転がってないんだから、
こういうタイプは、やっぱり自分を生きるしかないんだよな。
それが私たち人間にとってはまあ孤独だし、膨大なエネルギーを使うことでもあるからこそ、つい既存の正解に乗っかりたくなるよね。
つい「これがあなたの正解だよ」って誰かに言ってもらいたくなるんだよね。
でもそれじゃ続かないんだよな。
それは私の経験上、私自身が嫌というくらい知っているw
それを改めて思い出した。
おそらく私のブログやSNSを見ている人も、私の発信に共鳴してくれているということは、きっと近しいものは持っているはず。
いくら周りを探しても、自分の正解が見つからない、なぜか満たされない、なぜか苦しいと感じることもあるだろう。
でも、それでいい。
そのままで良いのだ。
それはあなた自身が、自分だけの正解を、自分の足で探したいと思っている証拠だ。
自分にとっての最適な生き方をしたいと魂がうずいている証拠だ。
オンリーワンの生き方を生み出すことに、魂が喜びを感じている証拠だ。
人間視点からしたら、それって厄介だなと思うけど、
でも残念ながら(?)、魂はすこぶる喜んでるんだよね。
それこそが、魂の喜びになっているんだよね。
それには、人間はあらがうことはできない。
だから、めげずに自分を生きること。
自分を生きることを辞めないこと。
自分を生きるって、別にハッピーなことばかりじゃないんだよね。
こういう、地味ーーで先が見えない作業とか、孤独ながらも道を模索や開拓する作業とかが、必然的に必要になったりもする。
でも、その先で、
なんとも言えないような、他の何とも代えが効かないような、
それぐらいの深い充足感と幸福感を手にすることができるのがこの生き方の良さ。
そのためにも、
自分が社会に適合できないという自覚があるあなたは、
是非一度、1ヶ月とか期間を決めてもいいから、どっっっぷり自分を掘り下げる期間を作ってみると良いw
自分の中の、好きと嫌を、とことん出してみると良い。
1日、2日で終わるような、浅いレベルではなくて、深いレベルでね。
これって、まあ終わりはない。
私だって、これまで何度やってきたことか。。
何度やっても、出てくるし、
何度やっても、終わりがないのだから、
何度でもやるんですよ、終わらせようとしなくて良いんですよ。
いとも簡単に見つかるもんだと、人生を侮ってはいけないよね (^ ^;
だって、そうしてウンウン唸りながらでも見つけた答えや
その向き合いのプロセス自体こそ、
あなたの魂が心底欲しているものなのだから。
おわり。