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【保存版】将来に対する漠然とした不安が消える、”自然に身を委ねる”生き方とは?~地球ゲーム攻略チュートリアル~

あなたは、将来への漠然とした不安はありますか?

例えば、こんなもの👇

「私、この先、どうなっちゃうんだろう・・・」
「このまま、今の仕事続けても大丈夫なのかな・・・」
「今は平気だけど、この先この生活を続けて大丈夫なのかな・・・」
「この先結婚できるだろうか・・・ずっと独り身だったらどうしよう・・・」
「老後どうなっちゃうんだろう・・・このまま年取って良いのかな・・・」
「このまま普通に過ごして、人生このままで良いんだろうか・・・」
「私の生き方、これで良いんだろうか・・・」

どうでしょう?

このような漠然とした不安があるという方、結構多いんじゃないでしょうか?


また、中には、

ふとしたときにこういった不安が押し寄せてしまって

ザワザワ落ち着かなくなってしてしまう・・・って方や、

時に深刻に考え込んでしまうことがある・・・って方もいるかもしれません。


上記、少しでも心当たりがある方や、

「確かに言われてみれば、上記のような不安はあるかもな・・・」

という方には、この記事はピッタリです。


なぜなら、この記事は

将来への漠然とした不安が消える、”自然に身を委ねる”生き方を目指そう

というテーマで、

✅ 私たちの不安がなぜ生じてしまうのか
✅ 私たちの中で不安を生成してしまう4つの勘違い
✅ 自然に身を委ねて生きるための3ステップ

について、ガッツリと22,000字という文字数で完全解説しているからです。


22,000字に渡ってしたためたこの記事を、
最初から最後まで浴びるように読んで頂くことで、

✓ 不安が不安じゃなくなり、

✓ 人生に対して絶対的な信頼感が生まれ、

『今、この瞬間』に全集中できる生き方

を手にして頂くことが可能になります。


『不安が不安じゃなくなる』という部分がポイントで、


ということはつまり、

  • 不安に対処するために、具体的なお金の管理や資産形成をするとか・・・

  • 不安に対処するために、安定した仕事を探すとか・・・

  • 不安に対処するために、日々の生活習慣を見直すとか・・・

そういう ”枝葉” のことはやらなくて良くなるということです。


そもそも、なぜそのような不安が生じるのかのメカニズムがよりよく理解できるようになるので、

不安に思う必要がそもそも無かったのだ、ということに気づけるようになりますし、

不安に対して対策するような言動をしなくとも、そもそも不安がなくなるので、不安を埋めるための行動そのものが不要になるということです。


そう思うと、めちゃくちゃ効率良いなって思いませんか?


そう、そんな最強マインドを手にして頂けるようになります。


そんな最強マインドを手に入れて、
『今この瞬間』にだけ全集中して人生を楽しみたい!

と思う方は、是非最後までご覧下さいね ♪

今日のラインナップはこちら👇


なお、今回の記事は、『不安』という切り口からの導入でしたが、

いわゆる『宇宙の法則』とか『魂の仕組み』とかについて、ガッツリ解説するような内容でもあります。

『不安』というテーマに興味が無くとも、『宇宙の法則』『魂の仕組み』といったキーワードに興味関心がある方は、読んで頂くとかなりそのあたりへの理解も深めて頂けるんじゃないかなと思っています。

それでは、いきましょう!


将来への漠然とした不安は全て、『人間』特有の ”勘違い”が原因である

まずそもそも、上で挙げたような、漠然とした将来への不安というのは、

肉体を持って生まれてきた『人間』ならではのものだと思ってください。


まず、そもそも、なぜその『不安』が生み出されるのか、

そこには、私たち人間が陥りやすい、『勘違い』というものがあります。


つまり、『勘違い』があるからこそ、

抱かなくていはずの漠然とした『不安』が形成され、

いつまでもその『不安』につきまとわれ、振り回されてしまう・・・

ということ。


なので、逆をいえば、

その『勘違い』自体を理解しないことには、将来への漠然とした不安は、いつまでも消えないということです。


恐れる前に、まず敵を知れということで、

まずはそこを理解するところから始めましょう。


人間が抱きやすい、不安を生み出してしまう4つの勘違い


勘違いその1:人に甘えちゃいけない・自立しないといけない

1つ目の勘違いは、

人に甘えちゃいけない、自立しないといけない

ですね。


私たちって、頭で思っている以上に、この思い込みを抱いていて。

他にも、

  • 頼っちゃいけない

  • 頼んじゃいけない

  • 助けを求めちゃいけない

  • 1人で何とかしなきゃいけない

  • 自分の力でなんとかしなきゃいけない

  • 周りを巻き込んじゃいけない

  • 周りに迷惑を掛けてはいけない

  • 自己完結させなきゃいけない

このようなものは全て、同じだと捉えてください。


そして私たちが抱くような漠然とした不安には、

この思い込みがベースに働いていることが多々あります。


《無意識》人に甘えちゃいけない

でも今のままだと、誰かに甘えざるを得なくなる(誰かに頼らざるを得なくなる)、どうしよう・・・【←不安の発生】

《無意識》自立しないといけない

でも今のままだと、自立することができないかもしれない(誰かに助けを求めなければいけなくなる)、どうしよう・・・【←不安の発生】

こんなイメージですね。


これあたりまえじゃん!と思うかもしれませんが、これらがなぜ『勘違い』かというと、

人に甘えちゃいけない、自立しないといけない

「私は努力すれば、自分1人で何でもできる(なんとかできる)」
「私は努力すれば、1人で生きることができる存在である」

みたいな前提があるからなんですよね。

もちろんこれは、頭では「自分はできる!」みたいなことを感じているわけじゃないと思うんですが、

でも、無意識の部分で思っているんです。

「私は、努力さえすれば、なんとかできるんだ」って。



つまり、『人に甘えちゃいけない、自立しないといけない

って思っている時点で、

『自分本来の実力』への勘違いを起こしている、ということなんです。


そもそも、今でこそ、地域や親族との関わりが薄れ、核家族化が進み、「経済的自立」とか「個人主義」的な概念が当たり前になっていますが、

一昔前は、そもそもそういった概念自体はメジャーではなかったワケですよね。家族や地域間で支え合って生きる、というのが当たり前で、そうじゃなきゃ生きられない社会でもありました。

また、もっと昔、貨幣というものが存在していなかったときというのは、取引は全て物々交換で成り立っていたわけで。

お互いに今持っているものを交換し合い、生きていく為に必要なものを賄いながら、お互いに支え合って生きていく。

これが普通でしたよね。


(そんな極端な過去の例を持ち出されても・・・って思うかもしれませんが笑)


長い人類の歴史的な観点で見れば、お互いに支え合い、助け合う文化こそが普通というか、そうやって生きるのが普通だったわけで。

誰も自分が「自立できる」なんて思ってないし、それをわかっているから、他者の力を頼るということが自然と出来ていたわけですよね。


でも、今は、貨幣というものが存在していて、生活水準自体がそもそも高くなってきているからこそ、

金銭的報酬とか、血のつながりとか、何らかの契約とか、そういうものなしに人の力を借りる・人に頼るということが、しにくい世の中になっています。


だからこそ、

人に甘えちゃいけない、自立しないといけない

という『勘違い』を抱きやすい世の中になっているのかなと思うのです。


でもそもそも、

『人は1人では生きていくことができない』

ということを、ちゃんと適切に、謙虚に自覚しないといけなくて。


それは、

『自分本来の実力』というものを適切に評価することでもあって、

『自分の力だけじゃ無理である』
『自分の力でできるのはここまでかもしれない』

ということを、ちゃんと認めなければいけないんですよね。


漠然とした不安が強い人ほど、
その自覚ができていない人が、実は多かったりします。


いや、頭ではわかっていても、心の深い部分では、反発しているんですよね。

『自分本来の実力』というのを、正面から認めることが怖くて、幻想の中で高く見積もりすぎているんです。


というか、

「出来ない自分」
「1人じゃ生きられない自分」
「本当は無力な自分」
「本当は何もできない自分」

そういう自分を感じたくないんですよね。弱い自分を拒絶しているというか。


だから、勝手にできないことを「自分はできるはず!」と思い違いを起こしてしまって、だから、

自分1人の力で(あるいは身内の力だけで)何とかしなきゃ

と思ってしまう。

それが故の『不安』が生じているというわけです。



勘違いその2:遠回りしちゃいけない・正解を選ばなきゃいけない

2つ目の勘違いは、

遠回りしちゃいけない・正解を選ばなきゃいけない

ですね。

これも、思いがちですよね。

何か選ぶとき、できるだけ遠回りしない選択をしたくなるし、なるべく失敗しない『正解』を選びたくなる。


だから、

「この選択が果たして『正解』なのだろうか・・・」

「これをやることによって、『失敗』してしまわないだろうか・・・」

のように、

『正解』とか『失敗』とかいう思想に囚われてしまい、

それが結果として『不安』製造機になってしまうということ。



確かに一見すると、

何か選ぶときに、できるだけ遠回りしないせずに失敗しない選択をできるように慎重になることは、別に間違ってないようにも感じれますよね。

これが普通というか、何が勘違いなの?と感じるかもしれません。



ですが、これの何が『勘違い』なのかというと、

そもそも私たち人間は、そもそも必然的に遠回りさせられる生き物だし、『正解』を選ばせてもらえない生き物であるから、です。

逆をいえば、人間として生きている以上、『近道』や『正解』の道は、選ばせてもらえないようになっているんです。


私たちがいくら頭で、

「遠回りしたくない・・・!」
「失敗したくない・・・!」

って望んで、慎重に慎重を重ねて選択をしようと思ったとしても

"絶対に" 『近道』や『正解』の道を、選ぶことはできません。

これは、残念ながら、断言します。


なぜかというと、

そもそも私たちの『魂』というのは、

  • 遠回りする

  • 間違える(正解を最初から選ばない)

という体験を、むしろ大歓迎しているんですよね。

大歓迎しているというか、わざと「遠回りする」「間違える(正解を最初から選ばない)」を体験したくて、それを選んでさえいます。

魂は、近道したくないし、最初から正解を選びたくない、というわけです。


なぜかというと、

私たちが頭で考えて考えているような『遠回りする』とか『間違える』って、実は私たちの魂視点からするとこんな感じなんですよね👇

● 遠回りする
→人間の内にしか経験できない、色んな貴重な体験が積める

● 間違える(正解を最初から選ばない)
→自分で正解を見つける面白さを体験できる

つまり、魂は、こういった『体験』を求めているんですよね。

(その点については、以前この記事でも書きました。良ければこちらもどうぞ👇)


私たちの頭で思い描いている『近道する』とか『正解を選ぶ』ってことが、魂にとってはこんな感じなんだよ、というのを、ゲームで例えてみたいんですが、


例えばポケモン。(ポケモン知らない方はごめんなさい🙏)

ポケモンのゲームって、最初に主人公の相棒となる1体のポケモンをプレゼントしてもらうところから、"ポケモントレーナー"としての冒険がスタートして、

そこから、色んな土地を旅しながら、野生ポケモンをゲットしたり、ポケモンバトルをしたり、ポケモンジムに行ったりしながら、少しずつポケモンのレベルを上げていって、

最終的に、ポケモントレーナーの頂点を決める『ポケモンリーグ』に出場し優勝すること(チャンピオンを倒すこと)目指すゲームですよね。


つまり、最終ゴールは『ポケモンリーグでの優勝』ではあるんだけど、

どちらかというと、それまでの冒険の過程、すなわち、ポケモンを集めたり育成したりする過程を楽しむゲームじゃないですか。

ただ単に、『ポケモンリーグでの優勝』することだけが目的じゃないというか。


それに、ゲームではご丁寧に、最初からポケモンリーグがある場所ヘはマップで移動できないようになってるんですよね。

ちゃんと順繰りに色んな地域を回らされるようになっていて、最終的にポケモンリーグがある地域へのルートがアンロックされる仕組みだから、必然的に遠回りして冒険せざるを得ないんですよね。


これ、私たちの人生と全く同じなんですよね。


私たちが、人生の中で、『遠回りしたくない!』『間違えたくない!(正解を選びたい)』って思っていることって、

ポケモンのゲームで例えると、

最速最短で、ポケモンリーグで優勝したい!

だから正直、冒険したり、ポケモン集めて育てたりとか、そういう過程とか全部要らないし、ポケモンリーグで勝てさえすれば良いんだ!

だから、最初から、冒険せずにポケモンリーグに行っちゃいたいし、そこで効率よく勝てる強いポケモンさえいれば良いんだよね!

って思っているのと一緒なんですよ(笑)


こう言われると、わかりますよね?


そんなポケモンゲームなんか嫌だ、面白くない、と(笑)

だって、最初からポケモンリーグで優勝しちゃったら、もうやること無いじゃないですか(笑)

ゲームの醍醐味が全部なくなっちゃうじゃないですか(笑)


そんなゲーム、やりたくないですよね?(笑)


それは、魂も一緒なんですよ。


最初っから、遠回りせずに正解を選ぶような人生のゲームなんか、つまらなすぎてしょうがないんですよね。

過程を楽しむはずのゲームだったのに、そのゲームの醍醐味を全部奪われた、みたいな。


そんな、答えが分かりきっているような、醍醐味を失ったゲームを、何十年も続けなきゃいけないって、逆に苦痛じゃありません?

「もう答え知ってるし、ワクワクする要素ないし、つまんない!!退屈!!早くこのゲーム終わんないかな・・・」

って、もしあなたがプレイヤーが側だったら思いますよね?


それと同じなんです。

私たちの魂は、『近道する』とか、『間違えない』とか、そんなの、つまらないから、求めてないんです。

だから、そういう近道・最短ルートは、ゲーム上にはそもそも用意されてないんですよ。間違ってそっちのルートに行かれてしまったら、ゲームの醍醐味が崩壊してしまいますからね(笑)


なので、生きている以上

遠回りしちゃいけない・正解を選ばなきゃいけない

というのは大きな勘違いだよ!!ということです。


そして、「遠回りしちゃいけない」「正解を選ばなきゃいけない」と感じてしまうのも、結局は、勘違いその1でお伝えしたみたいに、

「出来ない自分」
「1人じゃ生きられない自分」
「本当は無力な自分」
「本当は何もできない自分」

そういう自分を拒絶していることが、根底で繋がっています。



勘違いその3:今の自分の選択によって、今後の未来が一生決定してしまう

3つ目の勘違いは、

今の自分の選択によって、今後の未来が一生決定してしまう。だから、失敗することはできない。

という勘違いです。

こんな風に書くと、あまりピンとこないというか、

「一生が決定してしまう、だなんて、私はそこまで大げさに思ったりしないよ~」

って思うかもしれません。


でも、これ、めっちゃ多くの人が無意識に抱えている思い込みです。


具体例としてあげてみると、

例えば、学生の頃の進路を決めるときの決断、仕事を続けるか辞めるかの決断、転職先を選ぶときの決断、交際相手と結婚するか別れるかの決断、子育ての中での色んな決断 etc…

人生の中で、色々選択を迫られる場面ってあると思いますが、

そういった場面で出てくる不安って、
大体根っこを掘り下げ、掘り下げ、掘り下げていくと・・・


「ここで選び間違えたら、不幸になってしまうかもしれない・・・😱」
「この人と別れた先で、良い人と出会えなかったらどうしよう・・・😱」
「私のこの決断で、この子が不幸になってしまったらどうしよう・・・😱」

↓ ↓ ↓
「この選択によって、全てが決まってしまう・・・😱」

くらいのレベルで、不安を感じていることって、実は多いです。


長い人生で見たら、たった一瞬の決断でしかないのに、

いざそれを決断しなければならなくなったその瞬間になると、

たちまち、

その一時の選択が、あたかも今後一生にまで影響を及ぼすかのように思えてしまって、

その選択がもたらしてしまうかもしれない最悪の結末ばかりが思い浮かんでしまい、

気楽に下したら良いだけの選択にめちゃくちゃ慎重になりすぎてしまうんですよね。


もちろん、自分で自己完結する範囲での選択だったら、そこまでは思わないかもしれません。

でも、その選択をしたことによる影響が、自分以外の他者にまで及ぶもの(=他者を巻き込むような選択)だったり、

あるいは、将来の自分の生活にダイレクトに関係してくるものだったりすると、みんな途端に慎重になります。


「ここで選び間違えたら、不幸になってしまうかもしれない・・・😱」
「この人と別れた先で、良い人と出会えなかったらどうしよう・・・😱」
「私のこの決断で、この子が不幸になってしまったらどうしよう・・・😱」

「この選択によって、全てが決まってしまう・・・😱」

本当にこれ👆くらいのレベルで、本気で不安になってしまうことがあるんです。


でも、改めて言いますが、
そんなことって、無いんですよね。


例えば、人生ゲームってありますよね。ルーレットを回してコマを進めながら、就職とか結婚とか子育てとか、様々な人生のイベントを経験していくあれです。

あれって、止まるマス次第で、めちゃくちゃ借金したり、災害に遭ったり、詐欺に遭ったり・・・みたいな色んな災難が出てきたりするじゃないですか。

でも、途中でめちゃくちゃ損をしても、その先でめちゃくちゃ良いマスに止まったりしたら、その損失がチャラになったり、むしろプラスになったりすることもある。

要は、いくら目先の選択をちょっと失敗して、ゲームの途中で大損失を食らったとしても、その先でいくらでも挽回のチャンスってあるんですよね。

その大損失がずっと永遠に続くワケじゃなくて、大体はゲームの途中でいくらでも巻き返せるようになっているわけです。


それって別に、私たちの人生と何ら変わりないんですよね。私たちの人生と全く同じなんです。






「・・・いや、それはゲームだからやん・・・」

って思いましたか?(笑)


「人生はゲームみたいに都合良くいかないよ・・・」

って思いましたか?(笑)



では、考えてみてください。


この記事を読んでいるあなただって、

”その選択を下した時点” では想定外だったような結末を得られた経験

って、人生の中で何度も経験しているはずですよ。


例えば、

  • 「この大学受からなきゃ終わりだ・・・!」と思っていた大学に落ちてしまったけど、結果なんだかんだなんとかなって、普通に就職もすることができた

とか

  • 「絶対に今の仕事を辞めるわけにいかない」って思っていた矢先で、仕事を辞めざるを得なくなってしまい、「もうダメかもしれない・・・」と思ったけど、事実別に仕事をしてなくてもなんだかんだ生きられてた

とか

  • 「今辞めたら、次の職が決まらないかも・・・」って思っていたけど、実際辞めてみたら意外とすぐ職が決まった

とか

  • 「離婚したら私1人で生きていけないかもしれない・・・」って思っていたけど、いざ離婚しても、どうにかなっていた

とか

  • 「この人たちと関わるのを辞めてしまったら、私は孤立してしまうのかもしれない・・・」と思っていたけど、いざ勇気を出してその人たちとの関わりを辞めても、別に痛くもかゆくもなかった。

とか。


別にこれくらい大それたことではなかったとしても、

それ以前までは「絶対こうだ・・・!」って思っていたけど、実際はそうじゃなかった

なんてこと、絶対1つや2つ、あるはずなんですよね。というかむしろ、人生ってそういうことだらけじゃないですか?


そう言われても、逆にそういう例が自分の中で思いつかなかったとしたら、逆にこう考えてみてください。

「あなたはいつも、選択したときに想定していた結果・結末を、その後ちゃんと得られていましたか?」

「あなたはいつも、その選択を下した時点で想定できていた未来を、いつも体験しているんですか?」

と。


つまり、

今この瞬間でさえ、何かを選択したが故の【結果】になっているはずで、

その“現状”という【結果】を、あなた自身がその選択を下す前に想像することができていたか?を考えてみます。


そうすると容易に、「あ、そうじゃないな」とわかるはずです。


そして、

その選択を下したその当時には想像できなかったような、ラッキーな結果を受け取れたことだって、たくさんあったはずなんですよ。


そう、だから、

「ゲームみたいに、そんな都合良いこと起こらないでしょ…」

って思ってるかもしれないけど、実際都合良い結果も既に得ているんですよね。あなたがそれを、ちゃんと受け取っていないだけで。


・・・ただ、人間の脳の仕組み上、ラッキーな結果を受け取った経験よりも、アンラッキーな結果になってしまった出来事の方が、より印象的に刻み込まれるため(むしろラッキーな結果なんか、一瞬で忘れ去られてしまう・・・)、ついついアンラッキーな過去の結果にばかりフォーカスしてしまうから、余計不安を感じやすいんですけどね。。



それに、私たちの人生が、【人生ゲーム】と異なるのは、

私たちは遭遇した目の前の出来事に対して、自分なりに思考して、立ち向かって、乗り越えていく、ということができるということ。

サイコロやすごろくのマス目に左右される【人生ゲーム】よりも、遙かに有利じゃないですか。


それに、冷静に思い返してみて欲しいんですが、

これまで、過去に誰しも、どん底と思えるような経験だったり、

「あれはかなりしんどかったな・・・辛かったな・・・二度と味わいたくないな・・・」って感じた出来事だったりって、

なんだかんだあるじゃないですか。


そのときって、【人生ゲーム】で言えば、最悪のマス目に止まった、みたいなことだったはずで。

でもなんだかんだ当時のあなたは、その場面をどうにかこうにか乗り越えたんですよね。乗り越えたからこそ、今こうして生きてるはずです。


だから、私たちって本来、どんな逆境であれ、乗り越えられる強さを持っているんですよ。生物としての生存本能のような、そんなバイタリティーを持ち合わせているわけです。


だから、今目の前の自分の選択一つで、今後の人生が全て決定してしまうなんてあり得ないということ。

むしろ、どんな結果が待ち受けていたとしても、なんだかんだ自分は乗り越えていく強さを持っているんだということ。


自分の生き物としてのバイタリティーを、なめちゃいけませんよ。


それを是非、ここで押さえて頂けたらと思います。



勘違いその4:一生懸命苦労しなきゃいけない

勘違いその4は、

私は一生懸命、『努力』や『苦労』をしなきゃいけない。

ですね。


これも、結構多くの人が無意識に抱いている思い込みで。

簡単に楽になれるわけない。だから今の場所で頑張り続けなきゃいけない。

絶対に努力しないと痛い目を見るから、だから努力しなきゃいけない。

ラクしちゃいけない。もっと苦労しないと幸せになれるわけない。etc…

こういった前提が無意識にあるからこそ、


  • なぜか平穏が続くと「これでいいのだろうか」と不安になる

  • 別に何も起こっていないのに、なぜか頑張らなきゃと駆り立てられる感覚がある

  • 何か新しい決断や選択することにおいても「また努力しなきゃいけないのではないか」という不安により、憂鬱になる


のような、漠然とした不安が生成されます。



先ほど、勘違いその2のところで、「『最短ルート』は人生のゲームの中には用意されていない」とお伝えしたのですが、

そこで勘違いして頂きたくないのですが、


その『最短ルートが用意されてない』っていうのは、何も、

『人生は努力や苦労をして生きなければならない』

ってことではないということ。


もしあなたが、

『人生は努力や苦労をして生きなければならない』っていう思いを抱いているのなら、

それは間違いなく、思い込みです。つまり、『勘違い』であるということ。


それなのに、勝手にそのような『勘違い』を抱いてしまうが故に、

抱えなくて良い余計な不安を抱いてしまっている、ということですね。


でも、ここで冷静に考えてみて欲しいのですが、


仮に『努力』や『苦労』をしなかったら、どうなるんですか?


そう聞くと、例えばこんな返答が返ってくるかもしれません。

「他の人は、あれくらいできているから、私も同じくらいできなきゃいけない、やらなきゃいけない。そうしないと生きていけない」みたいな。


でもそれも、『勘違いその1』と通じているんですが、

それこそ、自分の出来る・できないをちゃんと謙虚に把握しないとダメだよね、という話で。

「だから他の人と同じようにできるように、努力して苦労しなければ・・・」という発想を抱いているということは、

自分の『できる・できない』をきちんと認めようとしないで、「自分が努力さえすれば、他の人と同じようにできるはず・・・!」という期待を抱いている証拠でもあるんですよね。


だからこそ、自分が抱え込まなくて良い不安が、どんどん増幅してしまっているということなんです。


全部、繋がってきますね。


そして、

『努力』や『苦労』することは、別に偉いことじゃないです。


「『努力』や『苦労』することは、美徳で偉いこと」

というのも、立派な『勘違い』です。



『努力』や『苦労』って、本来

「私、『努力』してますよ!『苦労』してますよ!偉いでしょ!」

みたいに、自ら嫌な思いをしてやるもんじゃないです。


『努力』や『苦労』というのは、あくまで【結果】の状態であり、自ら能動的に行う【手段】ではないということ。


どういうことかというと、


自分が無理せずに人一倍出来てしまった結果が、周りから見て『努力』に見えているだけ。

自分が目の前の人生に対して夢中になって一生懸命生きている姿が、周りから見て『苦労』に見えているだけ。


だから、そもそも

自ら『努力』をしなきゃ
自ら『苦労』をしなきゃ

っていうのは、おかしな話なんですよね。


その思考の中で、あなたが『努力』や『苦労』だと思って選択したその行動は、

"『努力』や『苦労』をしなきゃいけない" っていう幻想に自らハマって、勝手に『努力』や『苦労』をしているフリをすることで、一時的に不安を回避しようとしているだけです。

本物の『努力』や『苦労』じゃないということです。


そこを是非、はき違えないで頂きたいなと思います。



将来への漠然とした不安が消える、”自然に身を委ねる”生き方とは


さて、ここまで長いこと、

『不安』を生み出している『勘違い』について述べてきました。

ここまでの部分だけでもかなり、私たちが抱えがちな色んな思い込みに気づかされ、ハッとさせられた部分も多かったのではないでしょうか?


ここまででお腹いっぱいかもしれませんが(笑)、ここまではあくまで序章です。

まだ、『不安を生み出す勘違い』にしか言及していないので(笑)

ここからいよいよ、

将来への漠然とした不安が消える、”自然に身を委ねる”生き方とは、一体どんなものか?
どうしたらそれを実現できるのか?

について言及していきたいと思います。


将来への漠然とした不安が消える、”自然に身を委ねる”生き方とは、

『自力』ではなく、『他力』で生きる生き方

のことです。


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