"エセポジ" をやっても、真の自己肯定には繋がらない
心理学や自己啓発の分野では、
トラウマを思い出す必要がないとか、
過去を掘り返す必要なんてないとか、
そういうことを言われることもあるし、
実際に心理系のメソッドでも、
『ネガティブな記憶を思い出さなくても済む方法』
というものが人気があったりもする。
だけど個人的に、
自分の中のネガティブな部分に触れる勇気がない人や、
自分の中の負の部分に向き合えない人・目を背けてしまう人が、
果たして本当の意味で、自分の人生を幸せに歩ませていけることができるのだろうか、と考えたりもする。
『陽』を見て、『陰』を見ないという生き方は、
自分の『陽』の部分は受け入れ、
そうじゃない部分の自分については、否定している生き方になる。
つまり、100%自分を受け入れられている状態ではなくて、
自分に対して、限定的で条件的な愛情を向けていることにも繋がる。
つまり、完全な自己肯定にはなっていない。
もちろん、表面的には、それでも幸せかも知れない。
しかし、それが本質的な意味で『幸せ』のあり方と言えるのだろうか、疑問に感じる。
そもそもトラウマとは、しっかりと真正面から向き合っていくと、決してネガティブなものでもないし、
別に触れてはいけないものでもない。
なぜならそれは、紛れもない、自分の一部分であるから。
でも、じゃあそれなのになぜ、そのトラウマによって「苦しさ」を感じてしまうかといえば、
それを『ネガティブなもの(=負・陰)である』と捉えている自分の認知があり、
その自分の認知によって、負や陰の部分を否定・拒絶してしまっているから。
もちろん、
『陽』を見つめる生き方も否定はしない。
でも、本気で自分の人生を幸せなものにしたいと願ったとき、
本気で自分の人生を切り開いていきたいと考えたとき、
その排除している『陰』の部分に向き合わざるを得ないことを痛感するはず。
そこは決して、自分の中で、なかったことにもできないし、無視し続けることはできない。
であれば、
トラウマを、わざわざ腫れ物に触れるように扱うのではなくて、
最初からちゃんと真正面から向き合っていけば良い。
一時的に辛い感情がわき上がったとしても、
それは過去の感情のデトックスであり、
今この瞬間に体験した感情ではない。
それを、「いけないこと」としてタブー視する必要はない。
『陽』の自分もいれば、『陰』の自分もいる。
そしてそれらは実は区別されるものではなくて、
本当は『陽』も『陰』もなく、どちらもただの自分自身なのだ。
そうやって自分を統合できれば、
ここでようやく、本当の意味での自己肯定が初めて生まれる。
だから、私は普段のセッションや講座でも、
受講生さんに対して、積極的に自分の『負』の部分に目を向けて頂いている。
もちろん最初は難しいけれど、次第に、ちゃんとありのままの自分を見つめて、認められるようになっていく。
今養成講座もしていますが、セッションを提供する人こそ、ちゃんと自分の中の『負』に目を向けられる状態であることこそが、求められると考えています。
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