再読「この国の終わり」林 秀彦 著(成甲書房 2006)
脚本家・林秀彦さんの「日本を捨てて日本を知った」を読んだのは1999年。
自分で出来ることからやらねばという思いはあっけなく消え、
日々に流され二十数年。表面的な「感銘」という言葉。
この本は、日本の多数からは「陰謀論」という扱いになるのでしょうか。
(多数とは、例えば、コロナワクチンを射ってしまった8割以上。)
政治思想家・副島隆彦さんは、「協同謀議」という言葉を使われていたかも。この方も「陰謀論」者ということにされているのかと。
ある業界の大手企業同士も「談合」が行なわれてきたわけだから、
それより上位の権力層において、
「密談=陰謀」が行なわれているのは、あるでしょう。嫌ですけど。
そして、その陰謀をうやむやにするために、
「陰謀論」を語る人らは正常ではない。異常である。
という「陰謀論」論が、権力層からトップダウンで流され、
「陰謀論」を毛嫌いする被権力層が出来上がる。
それと「陰謀論」も玉石混淆として、
その石をもって、「陰謀論」=「異常」という事にされる。
「陰謀」が霧の中に隠される。
日常生活に追われ、世界の事どころではない、のであるが、
私も、自分の命への関心が低い、という事になります。naka
ローマ時代より、民衆には「パンとサーカス」を与えておけば良いという事になっているらしいが、現代、「パンとサーカス」なしに、支配出来そうな勢い。支配技術ばかりが蓄積されてますので。
「サーカス」は「娯楽」のこと。
私が音楽を聴き過ぎることも、もちろん「娯楽」です。
戦後教育とテレビによる洗脳はされている。
電磁波の件はよく知らない。
食品添加物は、日本ではなんでもかんでも認められていて、
身体によくない。
国に認められているから、企業も食品添加物を用い、
スーパーで、なにごともないように販売される。
化粧品の件もよく知らない。
音楽を聴き過ぎること自体は、洗脳の影響かと思う。
音楽を聴くことではなく、「公」よりも「自」を優先しすぎることが。
(いろいろ意見は分かれてきそうですが。)
みんなの日本とは、現日本政府のことではなく、
日本の自然や、文化や、それらに思いを寄せる日本語を話す人らの事。
それが「公」。
ただし、「国のため」というのは「洗脳」でしょう。
「国民国家」となって以降の「洗脳」。
いつの時代も、その時代の「洗脳」はあるんだと思うけど、
戦後日本の「洗脳」は、度を越していて、
やはり日本民族をなくすことがゴールなのかと思います。
しかし、このような現実に、私らはどうすればよいのか?
それが分かればやっているのでしょう。
自分で出来る事を考えてみて、行動するしかない。
誰に届くかも分からない文章を、
林秀彦さんも刻みつけたことでしょう。