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よんだ「雨の念仏」宮城道雄 著(昭和十年)

松岡正剛の千夜千冊: 546夜(意表篇)

心地良い随筆でした。音へ寄せる思いなどを聴かせていただきました。
口述筆記、文学がお好き、ということで、
随筆でも音を奏でられたのでしょう。
著者は箏曲家であり、
「正月の曲」として、皆認識している曲をつくった方。
この曲は、当時、フランスのバイオリニストであるルネ・シュメーさんも
気に入り、一緒にレコーディングもされた、と書かれている。

宮城道雄さんは、クラシックをレコードほかでよく聴き、
それまでの箏曲の範囲を広げたようです。

それでクラシックをされるフランスの方も興味を持たれ、
尺八のパートをヴァイオリンで演奏された。


この随筆は、三十二章から成っていて、
個人的には「四季の趣」が好きなのです。
日常の、自然の音に、耳を寄せる様が良い。
音楽家の方が、音に対しどのような思いで接しているか、
というのは興味が沸きます。

ブーンと虻らしきものの羽音が聞こえるのもよく、鳥の高音に囀っているのもよいものである。

P. 95

微かな風が吹き出して、庭の木の葉や笹葉を軽くゆすぶる時などは、何となくのんびりとして、よいものである。

P. 95

番傘に雨が降りかかる音を聞きながら、歩いていると、同じ外を歩くにしても、のんびりした情緒が起こる。

P. 95~96

団扇をしなやかに使っておる物音などは、よいものである。

P. 96

蚊にさされるのはいやだけれども、二、三匹よって、ブーンと立てる音は、篳篥のような音がして中々捨て難いものである。

P. 96

日暮しの鳴き声は、私の観察では高さが二通りしかない。。。町中で、一匹位が鳴いているのもよいものであるが、半音違いで、沢山時雨て鳴いているのは、何ともいえぬよいもので、聴いているうちに不思議な音の世界に引き込まれるような感じがする。

P. 98

まだまだ、自然や、暮らしの音の話は続くのだが、このあたりで。

気になっていた事は、「新日本音楽」のつくられてゆく当時の状況。

日本の箏は、高音、中音位は出るが、西洋のバスが出ないから何か楽器を作りたいと話したことがある。これが十七弦を作る動機であった。

P. 159

それまでの日本の箏の音域を広げるため、新しい楽器をつくり、結果、「新日本音楽」を推進。私は勘違いしていた。洋楽という余計なものが、それまでの日本の音楽に入ってしまい、音楽自体が変質したのではないかと。実際は、そいうことでは無かった。

つくられた曲名も、興味深く、自然に存在するものの名が付いている。作詞の方の名付けなのかは分からないが。
「蝸牛」「ひぐらし」「竹の子」「小鳥の歌」などは聴いてみたい。

人のつくった音楽ばかりでなく、自然の音に耳を澄ましてみよう。
人のつくった音楽を、大きめでなく、小さめにかけてみよう。
日本の音を大切にしたい。