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コミュニティ感

コミュニティとはなんだろうか。

「コミュニティ的なものに関わる仕事がしたい」と言いつつも、まだ私は「コミュニティ」という単語を掴みきれておらず、お尻に「的なもの」とつけている。

全ては説明できないけれど、この前1つ思ったのは、コミュニティに属しているという感覚は、そこに自分の居場所があると感じられるかにかかっているのでは、ということ。もしかするとそれは、そのコミュニティの一部分を自分が担っていると感じられるか、とも言えるかもしれない。(ちょっと大袈裟かな)

イメージは「参加者」ではなく「共犯者」。(たぶん)

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おそらく単発のイベントに参加しただけでは、そのイベントのコミュニティに「属している」とは感じられないと思う。継続的に開かれているイベントであっても、その中のある1回にしか行かないのであれば、あくまでその1回の参加者なだけだ。(良い悪いではなく、コミュニティに属す属さないのお話です)

それに気づいたのは、友人が開いているイベントに参加したのがきっかけ。彼の作るイベントと、自分が作るイベントの違いがたくさんあった。

開催地、客層、リピーター/新規の数、飲食のオペレーション。そして、「コミュニティ感」の有無。

おこがましいけれど、ちょっと奢りもあるだろうけど、私が友達とこの1年間続けてきたイベントには最近少し「コミュニティ感」が出てきたように思う。

なんというか、コンテンツそのものというよりも、私たちが作る場に来てくれているような感じ。私たちが作る場だから、きっとそこで会う人とも仲良くなれるだろう、だから今日も行ってみよう。それが回を重ねるごとに、じわじわと広がっているのではないかと思う。

知り合いもいるnoteでこんなことを書くのは野暮なのかもしれないし、「コミュニティ」から程よい距離感を取りたい人にとってはこんなの見たらもう行きたくなくなっちゃうのかもしれないよなぁ、とも思う。ちょっと怖い。あなたとあの場で会えなくなるのはすごく寂しい。

だけど、こんな試行錯誤も残しておきたい。ちょっと天狗になってたな、なんて時期も文字で残ってていいじゃない。その軌跡を経るからこそ、きっとより良い形に変化させていくことができるはず。

長くなっちゃったな。明日も早いから寝ます。おやすみ。

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